KEIKO KOMA Webサロン

生命の故郷


昨夜は、魔界に襲われ、はまったような苦しい夜でした。悪夢のような一夜が明け、体が大変しんどく、動けませんでした。コンサートでは時空を超え、体が空中に浮いたように次元が変わる経験をさせていただきましたが、その後、私はどこの世界をさまようことになってしまったのかと未だに体に受けた衝撃が残りながらも応用コースにて先生から人間とし生きることのお話を伺っていると、生命の故郷にやっと戻れて安堵しました。最近のコンサートメッセージの意味を教えていただき、経験してきたことですので、経験も理解も深まりました。眠りの神をコンサートで表現してくださった日は、安らかに光に包まれ、眠ることができ、目覚めた時に痛みのないことに深く感動し、感謝しました。この経験を活かせずに、悪夢のような一夜を過ごした昨夜は、先生にひたすら謝っていました。あれだけの経験をさせていただきながら、昨夜は、コンサートでわかったことを活かせずに、気にしていることに頭が取られ、苦しくてたまりませんでした。今日の応用コースにてお話いただきましたように、良い人生を生きていくには、良質な関係が一番とのお話の中で、嫌なことを気にしているのは、嫌な人と一夜付き合っているような状態で眠っていることと等しいお話は、恥ずかしながら身をもってわかりました。昨夜もずっとこのことを考え、意識ではわかっていますので、天性を考えようと切り変えるのですが、気づけば気になっている嫌なことを考えているのです。それも嫌なことオンパレードと表現するよりない程に嫌なことばかりが次から次へと出てくるのです。やることがたまり、やれば良いだけであると気づき、動き始めてから少しづつ重しが降りてきました。時間の使い方も大きな問題であり課題です。早く寝ないといけないと時間を気にし、素早く動いていても時間に取られていることは体でわかります。苦しくなるので、生命の働きには反していると気づき、頭で操作したりコントロールしようとする愚かなことを未だにしている愚かさには頭を垂れるよりありません。コンサートメッセージにありました「人生」「女と男」「天性」眠りの神、「究極的」と究極は違うこと、究極はその先はないこと、ご紹介くださった神学者は神という言葉を使わずに、「究極的」という言葉を使ったとお聞きし、昨日のコンサートメッセージ「究極的。。。」の経験をさせていただきましたことは極め付けであったと畏れ入ります。私はこの時に体が空に浮いたようになり次元が変わったのです。昨日の「究極的。。。」のメッセージです。

「人生の途上において本性に目覚め、迷うことなく目指して確かな手がかりを得ます。実はここからが本当のあえて本当の、と言いますが、本性を活かした人生の始まりと言えるでしょう。信仰に似て信仰にあらずです。それまで謎とされたこと、あるいはその時その時に気がつく疑問も次々と氷解されていきます。究極的に目覚めた人生はただ身軽く、この世の自由ということなど不自由と感じ、広い宇宙を自由に飛び交うように生きます。語ればきりがありません。」

明日もコンサートがあり、毎日続きます。大変光栄な人生です。ありがとうございます。

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名誉ピアニスト来場
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高麗恵子ギャラリーにて
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京都「高麗屋」にて