生命の内に咲く花
遅くなりましたが、京都コンサートに参加させて頂いてありがとうございました。
第一部のメッセージのお言葉は今も私の裡にあり、高麗さんがWebサロンにアップしてくださったお言葉を拝読する度に、深い悲しみにひとすじの光が注がれ、胸の中心に愛の花が静かにひらいて・・、「ああ、この時」という音が心に染み入るのです。
京都コンサートの開演前に、ロビーで高麗さんに詩を書いて頂く機会に恵まれました。
美しいマーブリングの着物姿の高麗さんの前に立つと、春の訪れの喜びと華やかな気持ちが湧き上がり、自分の裡からも春の光が差し始めました。
詩のお言葉から、全く新しい世界の光が差して自分の古い殻が真ん中から裂かれ、そこから光がどんどん入っていき、自分の裡から生まれいずる春の光と交流し、そこからまた新たな光が次々生まれ広がっていきました。
自分というものは無くなってしまい、まるで風と光に生まれ変わったようにして多くの人々の中に溶け込み、私は多くの人達の心の喜びや幸せとなって、どこまでも広がっていく光景でありました。
想像もしなかったすばらしい光景に、静かに感動いたしました。
コンサートは、戴いた詩の光景が深まり、展開していくように感じました。
ピアノの音が生命の内に咲く花を育んでくださり、パイプオルガンの音が固く何重にも覆われた殻を木っ端のごとく壊してくださる、その只中にあって、辛かったり苦しいと思えた事が、実は自分の殻を真っ二つに裂く強い光であり、浄められ砕け散った殻の奥から、私の生命の光の花が今こそ顕現する時を迎えたことを、体ごと分かる経験をしました。
人と係わることも、頭であれこれ思うことも、過去を見ていて、過去を延々と繰り返していることに気づき、捨ててしまえば良いだけと分かります。
そうではない、生命の内に咲く花が咲き開いていくままに生きて行くこれからです。
今日、ふっと口をついて出てきたのが、高麗さんの「花」の詩の一節でした。
どんなかすかな細い線であっても すべてはつながっている
自分が生きて 人とつながる存在の花・・・
繊細な白いお花の写真とともに心にずっとあり続けてきました。今、あらわる時を迎えたのだと感じるのです。
紅葉する木々は、日毎に鮮やかに、そして深みを増していきます。オレンジ、黄色、赤、金色・・と、新しい花がいっぱい咲いているように見えてならず、鳴き交わす鳥の声もとても賑やかで、まるで春が訪れたように感じて心が華やかに明るむ日々です。
コンサートがコンサートで決して終わらず、日々生きて行くことの中にどんどん深まり広がって行く恵みに心から感謝いたします。