KEIKO KOMA Webサロン

生命の交流


昨日は三鷹で先生の「存在論」に参加させていただきました。

かつての仕事の現場では「部分」が寄り集まり、「部分的」な回答を出し、それを以って進んでゆくという有様にいつも痛みを感じてきましたが、そうでなければ物事を進めてゆく事ができない仕組みになっている事を理解し言い聞かせてきました。当時は状況を変えてゆく事もできず、一方でたまたまその状況を変える方向に動けた時は我が増して強くなってる事を何度も経験しました。いつもぶつかるのは部分の壁や立ち現れる自我の姿でした。それらは日常的にあって、それでも生きてこれた時は終わりを迎えている事は肌身で感じてきました。2001年のエチオピア「天命」コンサートの趣意書で表してくださった「現代」の姿を当時から感じつつも、自分の身に起こる状況が酷くなければ危機感が薄れてしまうあり様で、自分が変わらないにも関わらず生きて来れた事に甘んじて、まだ大丈夫という、認識不足になっていた事を認めます。

昨日の存在論のお話をお聞きし、先生が老人ホームのお話をされる時に、希望を感じ、内があったかくなり嬉しくなるのは、先生が全体と一つである事実を伝えてくださっているからだとわかります。人間の生命の中に全体性を回復してゆく能力があるとのお話は希望で、それも綺麗な言葉を使ってゆくことで互いに交流し回復できると教えていただきました。今日から生命の言葉、綺麗な言葉を学べることによろこんで取り組みます。

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フィルハーモニー会場にて ①
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仙台高麗屋にて
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比叡山 お茶室にて