生命のままに
今この時に一人上映会であってもDVDでのシリア高句麗伝説を見れること。DVDを購入したころは今という未来がわかりませんでしたが生命の要求であったように思います。持っていても見てもわかりませんでした。、東京での上映会で高麗さんが見られた真は、今の時の為にあったとしか考えられないのです。畏れ多いと言葉になりました。五月の3日間の高句麗伝説に身を置くことの計り知れない尊さを感じます。自分は一人で生きて出会っているのではないということの意味。沢山の助けや働きかけがあって今を生きています。命の限りに、限界を突破していきます。
花は移り変わり、風は吹く。5月の新しい光をありがとうございます。