生命がさらによろこぶことを。
三鷹でのコンサートより、自分のなかからある種勢いのようなものが消え失せたと感じています。今迄であればそうなるとそれを調子が落ちたように感じてその状態が嫌で、なんとかして避けよう、勢いを失わせるものを排除しようと必死でしたが、今思うとあれは勢いというよりは憑き物だったのかもしれません。やはりもう頑張って頑張って見失いたくはないのです。
そうなると「余計なものはいらない」との思い膨らみ、「余計なものはいらない」とつい幼い頃から慣れた筆で書きたくなり、したためました。最初の一筆にすでにもう説得力があり、涙溢れるような文字を書きたい、と思いました。そんな書とはどんなものだろうと疑問に思うと、まだまだ自分には「見」の経験が足りないと考えましたので、これからまだまだ良質な愛に溢れた書や絵をいのちに触れさせてあげたいと新たな目標も産まれます。
余計なものは何だろうとさらに考えると、一つは「めんどくさい」だ、と思い当たり、同じく「めんどくさい」「めんどくさい」と飽きるまで紙に書いて、それを破り棄てました。
仕事で使う車内に飾った(造)花が好評ですが、ふと先生の撮影された花の写真の方がより爽やかに気持ちよく感じていただけるのでは?と思いましたので、ポストカードを購入させていただこうと考えています。
変な勢いのないやり取りはたいへん心地よく、笑顔で返していただくことが多くなりました。
ありがとうございます。
中川秀之