生を享けてよかった!
「生まれてこない方がよかった」と考える反出生主義というのが、日本のサブカルチャーの中に浸透し、哲学ブームの一端を担っているという。(戸谷洋志著『親ガチャの哲学』)これは、「もう死んでもいい!」とか、「こんな苦しい思いをするのなら死んだほうまし」とか言うのより、つまり苦悩の叫びというより、とても理屈っぽい考えに思える。わたしなどは、その出生や育ちの環境を思って、「もっと頭脳明晰で生まれて来たかった」とか、「もっとハンサムで生きたかった」とか、身勝手な思いはあるし、不満を感じることはあるが、生まれてきたことにいいも悪いもなく、運命の一つくらいにしか思わない。だって、「生まれてこなかった」ら、そういう主義に生きることもできないではないかと、矛盾や論理破綻を思ってしまうから。そして、「運命」も変容可能だという「いだき」に出会い、苦悩や困難は、しばらくそう表現しないで、新しい行動と別の発言で越えていき、未来創造のために、この生命を活用していきたいと考えている。しかし、その「優等生」にはなれず、いつも苦悩し、困惑の中で疲労してはいるが……。
今日も奈良まで「言葉サロン」開催で出かけ、午後からふたつのレッスンをやったら、もう疲れ果ててしまい、酷暑の中でうんざりするばかり。おまけに、来週から学校も始まり、休みもなくなってしまうことに嫌感(勤労意欲とは別)が増すばかり。それでも、こうして書き出してみると、元気が回復してくるのが不思議だ、明日二つの講座があるので、「反出生主義」なんか蹴散らかす元気が得られると思う。(8/24)