生まれ変わる瞬間
東京では今年はじめのコンサートの日、一面の雪景色でした。用事があり、雪の中を都心へ行きましたが、幹線道路は大渋滞でした。やっとの思いで府中にたどり着け、コンサート会場に無事に行き着くことは、並大抵ではなく、着いた時には救済の場に来れた安堵、喜び、感謝でいっぱいでした。お越しいただきました方々も大変な思いで辿り着かれたことと存じます。北陸の方は、一部は間に合わずに大変残念であったことをお伝えくださいました。雪の中をお越しいただき、誠にありがとうございます。
ドリームホールでのコンサートはいつも時代がかった大変歴史的なコンサートとなります。私がやっと着いた時にはメッセージも出来上がっており、調律師さんが3度目の調律をしてくださっていると先生からお聞きしました。毎回コンサートを開催するにあたり調律が大変であることをお聞きしています。時代が懸かっているコンサートですので、ただごとではないと感じます。
第一部「邂逅とフィールド」
「「邂逅」は、偶然の大きな出会い、運命的な出会い、のことを云います。当然「フィールド」のないところでは「邂逅」は起こりません。意外に思われるかも知れませんが、「邂逅」は「フィールド」の発見でもあります。せっかく、運命的な出会いをしても、その「邂逅」の意味を意に介さなくなり、日本の場合だと世間のなかにとけこみ、「邂逅」の意味は消え去ったが如くになりがちです。記憶を辿っても「邂逅」の瞬間はほぼ消えています。「邂逅」の時の「フィールド」が消えうせているからといってもいいでしょう。内面の豊かさが必須です。」
最初から素敵な音が聞こえ、歴史のロマンを感じました。歴史映画を見ているように感じ、目には見えなくても目の前に人間の歴史ドラマが展開しているように感じていました。初めて東明王様の后に出会いました。東明王様を支え続け、生命ひとつにあられました。邂逅により、生きるフィールドが作られていくことを感じました。メッセージには「フィールド」のないところでは「邂逅」が起こりません、と書いてありました。邂逅が起こった時、新たなフィールドが作られていくことも経験させていただきました。そして先生と奥様の邂逅からいだきのフォールドが作られ、真の人間とし生きるフィールドがどんどん作られていると見えます。邂逅が起こり、生命ひとつに生き、たくさんの人とつながり、愛のフィールドがつくられていく光景が見え、とても素敵でロマンあふれる一部でした。先生がピアノを弾かれると銀河の世界も見え、星と星が出会い、光と光が出会いを繰り返しているように見える世界はとても美しく、ロマンにあふれていました。
第2部「遍く広がる愛」
「監視資本主義社会が進行する中で、監視が及ばない「愛」の広がり、「愛」という言葉で「愛」そのものを表現できなくても、「愛」は生命の内から湧き出づる「いのちのちから」として広がり、浸透していきます。何かに苛つきを覚えるとき、今までと違う苛つきに驚きを覚えるでしょう。苛つきの実体が明確だからです。監視も管理もできない「愛」のうちに、それぞれの立場により、苛つきの内容が違うだけです。少し落ち着いてみれば、「愛」は生きるちからになっていることをおわかりになります。」
東京では珍しい程の雪が降り、大渋滞の中にいるとき、とても苛つきました。何故こんなにも苛つくのかと考えはじめ、次第に苛つきがなくなりました。苛つきの実体が明確であることに驚きを覚えるでしょうとのメッセージにも驚きました。演奏からは監視も管理もできない愛に生きることを教えていただいているようでした。監視社会であっても確実に自分が生きる道を創り、生きる場を創り、この社会で真の人間としての人生を実現していくあり方を学びました。先生の音と生命がひとつになり、一致する時、愛に生きる生命となっています。ありがたいことと感謝します。後半になり、監視も管理もされない愛に生きる生き方を一生懸命に身につけようと演奏をお聴きしているうちに、悲しみが襲ってきました。この世で何を頑張っても何の為になるのかとわからなくなり生きる屍のようになっていく人の呆然とした表情が見えたり、長い歴史の中で、いつも人間の生命が犠牲になり、人間としての生を生きていけずに死んでいったたくさんの人を感じました。体制の中で生きる生命の悲しみを感じます。体制の犠牲になり生命落としたくはないとの声が聞こえた時、アウシュビッツに送られていくたくさんの子供達の顔が見え、悲しみが全身を貫きました。長い人間の歴史が見え、あまりに悲しく、これ以上生きていくことはできないと全ての力が抜け、呆然としている時、生命の隅々から悲しみが溢れ出、涙となっていきました。生命から悲しみの涙が一雫落ちようとした時、突然美しいどこまでも透明な光が、たくさん降り注がれ、悲しみの涙を包み込み、光と生まれ変わったのです。注がれた光は宇宙の生まれる3段階の光です。悲しみは愛と生まれ変わりました。歴史の悲しみの行先がないと途方に暮れていたのです。行き先は源の光と出会い、愛と生まれ変わったのです。全身に強い衝撃を受けました。人間が発生した瞬間のことを昨年最後の東北センターでお話をお聞きしました。今日の経験は人間が生まれ変わる瞬間と感じました。今日から生まれ変わり、人類史は変わると生命で感じました。歴史が変わり、時代が変わることのちからはとてつもないちからであると全身に受けた強い衝撃から驚き感じました。最後のどこまでも繊細で透明感あふれる美しい音に涙しました。悲しみの涙は光に出会い、生まれ変わり愛が生まれる涙と変わりました。生命の内では生命に刻まれ染み付いた悲しみが愛へと次から次へと生まれ変わっていくのです。深い感動に包まれ、コンサートが終わった後、歴史的な瞬間に居合わせた衝撃があり続け、何かを語ろうとするとこれ以上の悲しみはないと、そしてこれ以上の喜び、感動はないと感じ、胸いっぱいとなるのです。誰かにあんなに悲しいことはなかったね、と語りかけ、共に悲しみを経験し、共に愛へと生まれ変わったことを語ろうとするのです。胸にあふれる悲しみ、喜び、涙を共に生きる人と語り合い、分かち合いたくなるのです。生命に受けた強い衝撃は悲しみです。全てが光に変わった時、長い歴史の悲しみにやっと終止符が打たれ、今日から愛の人類史が始まる喜びが生まれました。とてつもない経験が起こりました。コンサートで歴史を変え、時代を変えていけることを誰がわかることでしょうか。とてつもないことが起こっています。ありがとうございます。