生き延びた三鷹のコンサートと本日
昨日の三鷹コンサートに当日申し込んで参加いたしました。
当初お金と時間のことを考えると参加はしないつもりでした。しかし、当日高麗さんのメールを拝見し、申し込みました。
先生の生のコンサートは先月23日の仙台のコンサート以来で、まだ2週間しか経っていないのに、こんなにも重いものが体にまとわりつき、また蓄積されていたとは。と、コンサート会場で席に着いた途端にだるさと強烈な眠さから自覚しました。
この日は吉凶入り混じっていました。いや、災い転じてだったのかもしれません。
何度伝えてもずれた行動をする担当企業の新入社員にほとほとまいり、また当日の朝、上司から私が今度担当となる案件だと、その案件は小児科のいわゆるスーパードクターと呼ばれる先生で、その先生とマンツーマンで仕事をすることになるとのことでした。なぜスーパードクターと呼ばれているのか、小児科の中でも何が得意分野なのか、特徴は何かと調べているうちに、その先生はメディアを効果的に使っていると感じました。地元のTV局とは多分ツーカーなのでしょうけど、その他ペイド枠(有料)でドキュメンタリー番組を何本か作成し、TVで沢山紹介されている風にホームぺージで紹介していました。
確かに名医なのでしょう。しかし、大規模な施設を建設するために融資の場面を撮影させていたり、(まったくの主観ですが)常に薄笑いを浮かべている感じも、私には作為的な印象を受けました。
上司にしてみれば、安定感のある担当者にこの案件を持たせれば実績につながると思ってのことだったのかもしれませんが、たとえ、この案件を受け持ったところで自分の成長につながるというよりも、自分の命を削る仕事になりそうだと感じ、はんば上司と売り言葉に買い言葉となり、その担当を降りました。
コンサートに来て、こういう表現は自分でも嫌なのですが「正直、生き延びた」という表現がぴったりでした。
コンサート後は疲労感が取れないどころかかえって増しており、帰宅し就寝しても翌日はまだ疲労感が蓄積していました。
よほど、厄介なものを背負っていたんだなと思ったのですが、逆に自分の心に負担をかけていたんだと感じます。
最近仕事のスピードはどんどん速くなっています。しかし、それがひょっとして自分の命に反しているのか?…、とも思うのです。
今日の応用コースの中で出ました自分の命の要求、自分の命は何を希望しているのか。「誠の自分とはどういう自分?」がキーワードです。「誠の自分」で生きていきたいです。
疲労感はなく元気になりました。
応用コースも有難うございました。