生きる糧としての「国語の学び」
コロナに感染し、半月ぶりに来た双子の姉妹が、「いつも国語塾に来たかったのです!」「今やここはわたしたちの生活のよりどころ、楽しいときなのです。」と言ってくれたので、もう塾を止めようかと思い、結ぼれていた心がパっと開く思いがする。彼女たちの笑顔がまぶしい。
少し頭を使って言葉遊びをやる、正直な思いを話し合う、本を読んで、難しい言葉に躓きながら、それでも頭を使う、詩を読んで、新しい感覚を養う、人と話して、言葉のチューニングをする等々のことが、いかに大切なことか。治療やカウンセリングでなく、教養講座や話し方教室でもなく、「国語の学び」を進めていくことが、いかにその人を人間らしくするか。「生きる力」を養えるか。そのことを実証してくれたように思えてうれしかった。当方も、あらゆる困難を乗り越えて、「国語の先生」を続けていきたいと思う。(2022.3.19.)