KEIKO KOMA Webサロン

生きる極意、気遣い。


最近、いだきやNPO高麗、NPOいのちをはじめとする先生と高麗さんの活動、事業の全体を見渡すと未来の人間の暮らしに必要なことが見事にバランス良く散りばめられていて、総合的に統合して見れば、これぞAI時代でも人間だからこそできる未来産業のモデルの集まりとあらためて驚きます。「NPOいのち」を縦軸に整理するといだきしん先生が、「NPO高麗」を縦軸に見ると高麗さんの人間像や活動プロフィールがスッキリと見通せると感じていました。

東北と日本の未来を考える時、津波による塩害を逆手にとり塩づくりを始めた伊達政宗の発想力を7月に先生からお聞きし、塩田に替わる現代の奇想天外で壮大な発想は・・と考え続けていましたが、どう考えても やはりピアノで世界を変えていかれる先生のいのちの活動をベースにされた総合的な社会事業よりないと行き着きます。昨日の「語る会」でこの気持ちを表現させていただき、高麗さんからお聞きしたこれまでの被災地での活動、先生からはアノミー状況と自分への「気遣い」についてしっかりお聞きできて、考えるヒントが満載でした。アノミーに関しては先生から敗戦後の日本を急性アノミーと喝破された 故小室直樹さんのお話があり、ある時期に何冊も買い込んでぐいぐい引き込まれていった小室さんの世界の記憶が蘇りました。先生は今の日本は小室さんが予言していたようになってきたと仰り、そうなんだろう!!と直観的に私も感じました。

一方でハイデガーの「気遣い」については他者への気遣いではなく自分への気遣いということで最初はよくわかりませんでしたが、「可能性ある自分の未来を先取りして前方に向かうこと」とお聞きし、連続コンサート以来「一歩前進」することを再々メッセージや講座で伝えていただいたことに繋がりました。今回は「京都」から「東北」までの講座、コンサートを一つと捉えて「語る会」に参加しましたが、目的を見失いがちな「急性アノミー」という社会状況の認識と自分への「気遣い」という一人一人の個の生き方を同時進行で一つとしてカウンセリングしていただいたように感じます。そして、最近の先生のお話からいのちを中心に、豊かな衣食住、交流する空間があり、支え合う老若男女のコミュニティ像が見え、エチオピアやレバノン、ロシアなど世界と繋がる未来の結工房がオーバーラップします。

これまでは自分には中々見えなかった「まだ見ぬ未来」。いつしか見えた時(正確に言えば見せていただいた時)、自分自身が力を発揮するための仕事を模索しながら生きてきました。先生と高麗さんとの活動も多く経験させていただきましたが、常に力量不足を痛切に感じ、「いだき」を身につけつつ資質を生かして実践していった結果、小さなコミュニティでのフィールドワークを基礎にした全国ネットワーク化事業を紡いできました。登り口からかなり遠回りをしたと自覚していますが、登り着くべき頂上は常に見失わないように生きてきました。

長い時間を経て、ある時は いだき、NPO高麗などの様々な活動、事業の当事者やスタッフとして、またある時は享受する側のお客さん、観客の立場の「当事者」として様々な角度から参加させていただきました。先生と高麗さんに出会わせていただき、目覚めてからも迷走しながらも何とかスタートラインの手前にまで来ました。人間の主体性、自律が高校生の頃からの生きる上でのテーマでしたが、先生の生命賭けの実践を知るにつけて飛んでもない大仕事と認識は変わり、古い頭や癖、習慣から抜けきれず、世間的な人間と現存在的な人間のダブルスタンダードを揺れ動きながら半端に生きてきてしまいました。これぞすでにアノミー地獄でした!!

この限界を超えることがずっと課題です。東北からはじまると感じます。東北は先生が生まれられた津軽であり、艮の金神の土地です。また先生が奥様の晴美さんと出会われた仙台、銀河鉄道の盛岡、高麗さんも家はあり、歩き回られた多くの被災地、出会われた人々。そして数日前から呼び覚まされるように感じる「縄文の生」。「いい命を変な頭でつぶさない!!」、盛岡での存在論の先生のお言葉を「気遣い」の極意と肝に銘じます。いつも尊い経験をありがとうございます。

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レバノンより
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東京にて
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高麗恵子スカイロケットセンターにて-2