生きる命
前回の仙台は雪が舞い降りる中、会場まで歩く時、「この決断は、間違っていなかった」と確信しました。そしてコンサートでは、命を助けて頂きました。今日は仙台に向かう中、新幹線から山に沈み行く夕陽を眺めていました。この光景は何を物語るのか、自分の人生を重ね見るかのように見つめていました。
第一部「エートス」聴き慣れない言葉はギリシャ語とお聴きし、耳を澄ませます。「内面的原理とは何か」先生の問いかけが胸に響きます。ある音をきっかけに、深い湖底に沈み込んだかなしみを見ました。自分のかなしみなのか分かりませんが、言葉にならない深いかなしみです。突然美しい光が現れたのに、紗幕がかかったように焦点をなかなか合わせることができません。美しい光を確かに見たにも関わらず、直ぐに雑音が入るかの如く濁るのです。まるで日頃の自分の状態を、そのまま垣間見るようでした。やがて、流した涙が美しい光に変わるように、誰にも、何ものにも侵されない、美しい光の世界に包まれ、安堵の思いで第一部が終わりました。
第二部「命豊かであること」メッセージの言葉に、「本当に、その通りです」と、涙が溢れます。私は、心臓が弱っていたのでしょうか。大好きな低音のフレーズが聴こえてきた時、まるで心臓を下から強く支えてくれているような感覚になったからです。強く強く支え続けて下さるようにピアノの音が鳴り響く中、真髄という中心が柱のように立ちました。余計なものが剝がれ落ちていきます。確かなる脈打つ、強い心臓を感じます。支える力が、生きる命となると分かりました。アンコールでの先生のピアノの音が、力強く心臓に響き渡ります。またしても、命助けて頂きました。ありがとうございます。私も、支える力となれるようになりたいです。