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生きる力、言葉の力


ここ一週間の間、奈落の底へ突き落とすために歓喜は与えられるのかと思うくらい、母のことで様々なことが起こりました。私にできることは、あきらめずにすべてを尽くし、運びを待つと決めました。ですが、母と話しているうちに、母の死期を早めるのではないか、あきらめさせる加担をしているのではないかと、胸が痛み始めました。家に帰りたい。その一心で今までやってきたのに、私は取り返しのつかない方向に行こうとしてないかと自責の念に駆られたのです。金曜日に帰宅すると、「一人で何もかもやらせて申し訳ない。意気地のない母親でごめんね。あともうちょっとのところでできないんだよ。」繰り返し云っている母の声が聞こえます。「寝言なんかじゃない。天井を見上げながら、ただ寝ているんじゃない。毎晩手を合わせてお願いしている。寝言なら毎晩同じこと言うわけないじゃないか。」その母の繰り返す言葉を聞いた職員さんは、夜寝られないと判断して睡眠薬の処方を依頼したり、認知症が進んだと云います。母の言葉は胸に突き刺さります。10/9に特別養護老人ホームに入所が決まったことを伝えると、「このまま死にたい。パパさんに毎晩お迎えに来てってお願いしている。あんたにこれ以上大変な思いをさせて、お金を使う必要はない。私のことはもういいから。あんたは自分のことを考えて。足は大丈夫なの。毎晩お願いしているよ。」私が何も話さなくても分かるのだと静かに話す母は、感情的に泣きながら話す私とは対照的であり、それゆえに胸がざらつき不安で押しつぶされそうでした。翌日、昨夜の事には触れず応用コースに向かう時間が迫る中、突然母が「パパさんの顔忘れちゃった。あのJullyとパパさんの写真、ベッドの横に置いて。あともう一枚、家族皆んなで映ってるのはないねぇ。」と云いました。駅に向かいながら、施設に電話をしてお迎えに来られた時に写真を持たせるようお願いしました。母に一番いいことは何なのかと問うても胸が塞がったままでした。これから先生にお会いでき、応用コースがあることが救いでした。ピアノは波のように押し寄せては引いていきます。自分の答えを求めようとしている、ちっぽけな自分が消えていきました。先生の話をお聞きしながら、張り詰めていた頭が途中で大きく後ろにのけ反ったお陰ではっきりしました。一番大事なことは、生きる力です。余計な不安に惑わされることなど何一つないとわかる応用コースです。新たなこの流れに乗り、突き進みます。母がどうしているかと、施設の方に事情を話し電話を繋いでもらいました。写真のことをすっかり忘れていたと云うので、二人で大笑いしました。職員さんの粋な計らいで、家族皆んなで写っている写真を部屋で渡され嬉しかったと云います。「お互いに元気にがんばりましょう。ありがとうございます。」母の口から出た言葉に、嬉しくて涙が出ます。言葉の力です。生命は一つに繋がっています。先生、ありがとうございます。

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