生きるちから
暑い夏は苦手だと思っていました。今日はまたとくに暑い日でしたが、エアコンをつけず、日中のいちばん暑い時間帯に部屋の掃除をし、東南に面した昼は焼けるように暑いベランダに干した布団を取り込み、洗濯物を取り込み、ベランダに水を撒きと、汗をかきながら動くのは夏でも変わりなく、バテることはないのです。ただし冷たいものさえとらなければですが、夏は苦手と最近はずっと思っていましたが、夏は苦手ではどうやらないようです。
今日のコンサートでは聖なるいのちのちからの明るいことこの上ない経験をさせていただきました。生きているということだけで命には聖なるちからが源にあるという体験でした。どこまでも遥かなる上をみて顔を上げ、どこまでも明るいのは、聖なるちからに満ちているこのときを経験させていただいているからであり、万物の創造が成され、いのちが生まれるその源に通じている歓びは命のはたらきだから。どんなときも生きること。宇宙、天、神とつうじるいのちを自ら疎外するのは自然の摂理とはまったくかけ離れていることをパイプオルガンで、ピアノの演奏で、先生の後ろ姿で、姿勢が糺されていきました。少しお腹の下に痛みを感じたときもあったのですが、苦痛ではなく、痛みでもありながら、未来を生きるちからが生まれていく動きのように感じました。コンサート終盤にはいだきを受講し、先生のコンサートを真っ直ぐに姿勢を正して聴いている人達の後ろ姿は、未来をみているように感じ、ここに集う一人一人の存在の尊さを感じたとき、思いと、感じることの違いがはっきりと分けられていきました。暑い夏でもいのちはばてることなく明るいです。
明日は三鷹のコンサートがあります。つづくコンサート開催をありがとうございます。