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玄牝、迷宮からの道ひらき


迷宮が生まれる背景は「愛を急ぎすぎた時や報酬や結果に変えた時」とお聞きすると確かに愛をわかろうとして急ぎすぎる自分を自覚します。いだきしん先生との出会いがなかったら愛について深く考えることも、真の愛に触れることもなかったのは間違いないのですが、愛を知れば知るほど、経験が増えれば増えるほど愛を自分自身のいのちで真にわかることへの焦りが深まっていました。そういう意味では藤原兼家の妻が平安時代という「愛されない制度の中にいる」女性の身でありながら離れられず、近づけない距離感の中で、それでも夫を粗末にしないで生き、残る一縷の期待さえをも整理をしないでそのままの自分の状態を記述していた姿勢には学ぶことは多いです。兼家の妻のこの状態を先生は「出口をつくらない愛」と表現されましたが、夫や社会への抵抗の姿勢を感じさせつつも「ここにいてもいい」とある意味で悟ったような兼家の妻は当時とすればとても特異な人生を生き抜いた女性でしょう。しかし、アントレプレヌールサロンの先生のお話では兼家の妻は「関係性そのものが迷宮」になっていた時代の話ではあります。転じて令和八年の新年を迎え、現代の私たちはどうなっているのかを1月6日のコンサートメッセージから詳しく教えていただきました。

アントレプレヌールサロンのお話の核はいだきしん先生が自らの人生についてじっくりと語っていただきました。きっと「迷宮」にある私たちが「出口を探しても無駄だ」ということをよくわかり、ではどうするのか、いや、ご自分は「こうしてきた」というお話に徹してしてくださったと感じます。そのヒントはまさに兼家の妻の「ここにいてもいい」だと捉えます。しかし、兼家の妻は書き綴ることで自分を消さないことは続けられましたが、先生がいない時代です、残念ながら迷宮状態のまま死に向かうよりなかったことでしょう。私たちは幸運にもすでに迷宮という自己同一性(アイデンティティ)の喪失を解決するからだを養っていただき、内面から生まれてくる “いのちのちから” で主体的に生きていけるようにしていただいています。私たちは いだきしん先生の存在を理解し、自己の存在を表すことで迷宮を出るというよりも迷宮を超越し、本質的な愛に至る道がすでにひらけているのです。未来に向かう大きな希望です。

先生は「人間とは」を探究し続けた結果、35、6歳の頃、死ぬほどの状態になりながらも身体の激変をそのまま受け入れ、ご家族の支えにより乗り越えることで他者の身体を受ける存在であることを自ら確信され、「ここにいてもいい」と決められたのだと理解しました。

「迷宮」についてはヘーゲルの絶対精神による自己疎外やそれを「逆(さか)さま」と指摘したマルクスの包摂による疎外論を遥かに超えて、この時代に先生が見出された「人間とは何か」の答えから導き出された最新で最先端の世界の状況をいのち、愛を核に解明していただいたと考えます。同時にその「迷宮」という問題、課題を根源解決するコンサート、講座を開催し続けていただき世界を変える存在として益々パワーアップされていることがとてもよくわかりました。「闇からの栄光」へ向かわれ、「復活」されてから老子の「玄牝」に出会い、現代の「迷宮」という複雑な疎外状況を解決する根源的な人間の新しい生き方 いだきを伝え続けていただいています。存在の「違い」ではなく「差」であることをよく理解して、自己の存在を自らが表現することが求められる理由もよくわかります。

昨年のメッセージで玄牝は深遠なる女性原理であり闇の奥にある生成の門であり、「天と地を結ぶ聖なるあわい(間)」とお聞きし、「ジェンダーについて」のテーマであった女と男のある何かが紐解かれる期待に溢れました。そして老子は陰(玄牝)と陽(光)の相互生成の循環を道(タオ)としたとお聞きし、男にも先が開けました。「迷宮」は女性の子宮が創造的受容の状態を喪失していることが根源的な原因で、それにより男性も元気が出ない状態にあると今は理解します。そういう意味では、女性に輝いてもらうためにはたらくよりない男はシンプルです。未完成もそのまま受容される恵まれた環境に甘えず、依存せず、先を開拓します。この一年間は大変難しいメッセージが続いていますが、一つ一つを正確に理解することが今は大きな道ひらきの機会になると感じます。ありがとうございます。
本日もコンサートよろしくお願い致します。

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