玄。「女と男のある何か」の根源
講座中にも話されましたが、今回のジェンダーに賭けておられた いだきしん先生のお気持ちが6時間に渡ってひしひしと伝わってきて素直にお聞きすることに徹しました。「女と男のある何か」の核心は遂にここに至って公開されたのです。「恋をしたことがあるか?」の問いからはじまりました。あらためて先生から問われると「恋するとはどういうこと?」と考えてしまいます。先生のお話をお聞きするほどに内面は激しく揺れ動きますが言葉になっていきません。
先生はいつもそうされるようにご自分の経験からわかりやすく話してくださいました。奥様の晴美さんとの関係性だけでなく晴美さんのご家族との関係性もとても大事にされ、倒れられた晴美さんのお父様の看護に徹して3ヶ月、お父様が自分の足で歩いて退院されていったプロセスなどをお聞きしていると「恋」はこのように恋する相手一人だけでなく相手の周囲の方々を大切に生きていくこと、愛を育むと理解します。晴美さんのお父様の看護についての話は何度か聞いているお話ですが、いつもそうであるように初めて伺うように聞いています。いつしか毎回「即興で聞く」という大変難しいことが身についていることにも気づきます。
自分勝手なイメージに流れがちな「恋」。好きになった相手との”結婚”や”仕事”、”家族”、”看護”という人間が作ってきた制度の中で固定化しがちな関係性を本来の人間的な温もりある関係性に変えていく生き方、愛。先生の「ジェンダー」は生物学的な性も含めて社会や文化の中で後天的に作られた社会的性差をテーマにされていると把握していますが、先生のお話はその生物学的な性差を隠したり失うように社会的性差を生み出す構造的な仕組みを浮き上がらせ解決へ向かうのがよくわかります。
「玄牝」、根源には美しく輝いて生きる女性あり。一方で好きな女性のためにその人に関係する全ての環境を良くしていきながら先を生きる道を創るのが男。女と男、陰と陽の相互生成の循環を「道 (タオ) 」と名付けた老子の「思想」は臨床家として一人一人のいのちに向き合う いだきしん先生によって現実の人間の生き方になり、これまでの世界に無かった未来への道標を示していただきました。
先生の秘伝の奥にはまだまだ深いところがあると推察しますが今回のジェンダーはまさに大転換の要にあることを感じます。昨年の9月2日に仙台で「内なる天庭」、「天庭での愛」を表現していただき、やっとピアノの音が「天庭」に届いたと伝えてくださった「はじまり」から多くのコンサート、先生の”復活”を経て、先日の10月16日の三鷹で「玄牝」、「光」を、さらに11月18日の「玄」、「天空」に至る”名付けられぬ根源”に導いていただきました。
「天と地を結ぶ聖なる間(あわい)」である子宮、受け容れる子宮の力が創造的受容であることで女性が最も美しく輝き、その女性に恋する男性は外に向かう力を得る。「人間とは?」の根幹を成す「女と男のある何か」は いだきしん先生の愛のフィールド、場に身を置き、本来が受容体である女性達も身体全体を いだきしん先生に受容されながら いのち一つでわかる稀有な経験です。
濃密で尊い特別な経験の場への導きを心よりありがとうございます。
