父なる山を眺め
富士山の父なる山を眺め、改めて日本一と讃えられる富士山が姫神であることを思います。父なる大山を登った時に、頂上に近づくとまるで雲の上にいるかのように足元軽く嬉しくなったことを思い出します。
今年の年末年始は度々のご縁で、富士山に近いエリア行く巡りになっていること、締めくくりもこの地に在ることは何を意味しているのかとふと考えます。富士山が姫神であること、もともとの日本人は女性を中心にしてあったのではないかと感じてなりません。
来年の高句麗伝説に向けて、様々なものが動き始めているように感じます。改めて自分のルーツを辿るような流れは何を意味しているのか、体中の血が止められていくような苦しさに歴史の闇の重さと、新しい夜明けを待ち望む多くの魂の想いを同時に感じる今です。
年々、脱皮するように新しいいのちに生まれ変わる、このいだきの、先生の見つけられた仕組みは生命の樹のようにこれから人間として生きる標となると確信しています。
私も飛翔コーヒーに助けられ、日本の多くの方々にもこのエチオピアからのコーヒーの恩恵を届けたく、高麗さんの気持ちと共に来年はさらに多くの方々に発信することが出来るように場をつくっていきます。
先生、高麗さん、スタッフの皆様、ご縁頂いた皆様、心よりありがとうございました。お元気で、良い年末年始をお過ごしくださいますこと、心より祈っております。