熱意
昨日、Sk高校で、高一生に「古典文法」の第一歩、「動詞の活用」を教える。5クラスに。ただでさえ、勉強したくない連中に、「何の役にも立たない文法」を説く大変さ。活用表のプリントを配布しても、何を書いていいか、全く分からないらしく、「語幹」と「活用語尾」も何のことやらさっぱり。「中学の時の口語文法の同じように考えて」と言うが、ネグレクトしてしまっていたので、いまさら感が強い。それでも、机間巡視を繰り返し、「分からなければ手を上げてくれ!」と言いながら、ひとりひとりに声を掛け、一緒に取り組んでやる。もうまた風邪をぶり返しそうになりながら、悪戦苦闘。やっと一枚のプリントを記入提出させて終わるが、そのとき一人の男子生徒が、「やっとわかった。すっきりしました!」と言いに来てくれたので、もう天にも昇る思い。
今日、UM高校で、漱石の「こころ」の読解を始める。なにかと授業が抜け、とても丁寧にやるだけの余裕がないのだが、ともあれこの近代小説の雄ともいうべき作品に触れさせておきたかった。教科書に掲載されているのは、第三部の一部でしかないが、「先生」と「K」と「お嬢さん」の三角関係、恋するゆえの嫉妬心、恋に陥ったばかり苦悩、明治の知識人の限界を描いて、その内面描写は一読の価値はあると思うのだ。やれ、女性が描けていないし、あまりにも知的すぎるとかの批判はもっともだが、また、「自殺」が結果の作品に意味があるのかともおもうが、現代の高、ふれさせてみたかった。しかし、あまりにも長い。読むだけでも大変。でも、読んでおけと言っても読むはずもない。だから、朗読しながら、「ここ、分かるかい?」などとコメントしながらやっていくしかない。これを4クラスやるのだから、またまた喉が痛くなってしまう。しかし、こっちの熱意が伝わるのか、しだいに参加してくる生徒が多くなる!空所補填のあらすじ問題に、的確に答える生徒がでてくる。すると、クラス全体が(もちろんまったくやらない奴もいるが)しなってくる。あっという間に50分が立ち、「とにかく読み通そう!」といって、今日は終わる。よし、この分だと、作品を読むということだけはできるかもしれない。活字と近づけさせ、少しでも自分の心と関連させてみる、という「国語」の授業は成り立つかもしれない。――それで、もうぐんなり疲れ果てたけれど、気持ちはフワフワしてうれしい。教師復活だ!