無駄な勉強か
本なんか読んで何になる。本の知識をひけらかしても何にもならない。しかし、本を読まないなんてありえない。「ここ何十年、本なんか一冊も読んでませんよ。」と大声でいう人の顔を思わず見てしまった。わたしよりすごく存在感のある人だったが……。
スピノザの本の読書メモを書いていて、たまたま一年前に読んだ本(田中久文著『九鬼周造』)のそれが見つかって、ショックを受ける。なんと読んだことも忘れてしまっていて、あらためて、その生真面目なメモを見て、悲しくなってしまう。そのときは、存在論に力を得た気分で、たとえば、「寂しさ」について、大いに納得し共感したから書き留めたのだろうが……。ほんとうにわが知性を確実にしたのかどうか、自信がなくなってしまう。だから、メモはよして、目を通すだけにした。
もう勉強なんかせず、どんどん行動に移るべきなのか。いつまでも学生気分に酔ってないで、実績を問うべきなのか。全体、わたしの悪い頭では、理解しきれないのに、なにしがみついているのかとも思う。そんなことせずとも、大いなる存在と共に生きていけるのではないか。妙な「意志」とかにしがみついて、ほんとうの啓示を見失っているのではないか。
いい年になって、こんなことを書いているのが、ちょっと気恥ずかしい。しかし、年のことなんか言い出したら脱線してしまう。「本来的な生き方を忘れ、他者との頽落に安住してい」るわけにもいかない。だから、「無駄」かどうかも「無駄」のようにも思える。
ただ、こうして文章を綴ることによって、やっと踏みとどまれる気はする。(5/18)