無限の可能性
死についての講座、ビデオ講演会に参加させて頂きありがとうございました。この度の京都も変化の大きい経験になりました。
どう死を看取るか、これからますます厳しくなると予想される社会の中でどう可能性をつくるか、どのように生きる希望をつくるのか、様々に思うところがありました。
自分も家族が病気になってからでは亡くなったあとのことは避けて話せなかったけれど、本当は普段からきちんと大切なことと向き合って逃げないことが大切と先生の在り方のお話から学びました。
時熟のお話は以前【時が合う】というお話をお聞きした時にそのことの意味がずっと解らずにいました。時が経つにつれ、時が合っていくにつれ、その意味する所がわかってきました。特にジェンダーで直接時間についてお聞きした時に確信にかわりました。
人の多様性、多くの違いがあることは自分への気付きになり発展性がある反面、私も記憶力は悪い方ですが、何度話をしても通じ合わない関係では一緒に物事を成していくことは難しいと感じ、基盤が同じことが大切との先生のお話に共感しました。仕事は特に先生のお話にあったようにすべての人に解ってもらうより、先を創る人と向かっていくことが大切なのだと気付きました。また同時に伝えることを諦めてはいけないことも学びました。
2日間のビデオ講演会でも、共感することが多くありました。山に登った時のお話では私も大山という日本の山に登った時、山頂に近づくと突然体が軽くなり、いつの間にか周りをおいて呼ばれるように登ったことを思い出しました。また応用コースでの重い空気感、最後の方には体に力が入らなくなり字が書きにくくなり、あまりの暑さにコンサートのようと感じていたので、お体にまとわりついていた黒いもののお話に納得すると共に厳しい社会情勢を思いました。
今日が人生の最期の日であってもあなたはその選択をするのか…そこを基点に悔いなく生ききることが大切と感じています。どんなに寿命がのびたとしてもただそれだけでは意味がないと、生きる意味を問いかけ精一杯生きること、それが今であり永遠でもある時間の中に生きることだと感じた一日でした。深い気付き、幸せな時間をありがとうございました。