活動家であること
京都応用でのご講話、ありがとうございます。
昨夜は多いに活動したにも関わらず、そのまま疲れて寝てしまい、余計苦しい命で、時間も場所も取り間違え、向った応用でしたが、やはり、先生のお話をお聞きでき、今の動きの先をつくる変化の時を確認するようにその場にいたようであります。
労働と活動の違い、私達は活動家であること。今までコンサートや講座に何度も参加させて頂き、内面強くして頂いたこの生命を社会の人々のために活かし、生きている間に動いていくことを、認識した昨日の経験でもあります。先生の入院時代からのお話をお聞きし、この人間社会をまったく変えていかれるために存在される御方であること、まっとうにいきてきたため、生命とられ死にそうになっていた高麗さんとの出会いもことばにならないくらい尊いです。
世の中のしくみ、内面のしくみに入り込む心のない存在がやってこないように、自分の弱いところを克服していくことが、これからもっとも必要なことと考えます。やることは、動くことからことばになります。ひとりでやっているのではなく、いつもともにいてくださることを心に何ごとも向かっていけばいいと、力をあたえられます。つぎのコンサートに向かってボケた頭を治すよう、鍛えていきたい今の気もちです。ありがとうございます。