永遠の光
珍しい雨の京都、コンサートホールまでの道のりはやはり 色々なことが赤裸々に現れる道のりでした。
コンサート会場の圧倒的な熱量、演奏が始まると体のうちに広がる宇宙に一対となる存在が共にありました。愛を感じる時 その香りはいつも共にあると感じる香りでした。
ある物理学を学んでいる方から、いのちの法則は1+1=2ではなく1なんだ、どうしてかわかるかとの問いをもらってから、この問いの意味が卵が先か鶏が先か という問いであると感じ、その答えを陰陽のマークにみたように感じていました。
それをそのまま 体感として在るような奇跡のような瞬間瞬間でした。内面の宇宙で溶け合い 自分でもあり 他者でもある時、源はひとつ 愛と改めて知りました。
第2部の演奏はあまりにも 透明で深く心の奥底に入ってきました。音が静かに静寂な空間の中に溶け込み 全体と一つになっていきました。先日 仕舞を見る機会があり、数人ではありましたが、神と一体の世界を垣間見た気がしました。実際にはお面はつけていませんでしたが 能面のわずかな隙間から見える 視界の中で舞いを踊る、空間と自分が一体でなければやれないのだということがうまくいかなくて空間を見る意識で見てしまった人も見させていただいて良くわかりました。
その経験もあって、空間と1つの音の世界をより強く感じた 京都コンサートでした。体の中に大きな光の玉を抱えているような圧倒的な熱量と、触手が伸びるような、花が開き 外側にエネルギーが向かうような中心から伸びていく光を感じました。
こんなに幸せな世界の中にあったら、争うということすら知らないでしょうと今日のシリア上映会に向けての流れを感じます。まずは永遠の光の花が咲き続けますようにと祈りつつ、今日の催しに向かいます。ありがとうございました。