永遠の今
あまりに重い荷物を背負っているかのような足の重さに、蠢いているものの大きさを感じてならない渋谷でした。特に開闢の光景は起きていられず、沈み込むような体感に優しい音色が響いていました。
イランの精神の源流を辿る旅は、東洋と西洋がひとつになったようなイランの不思議な光景でした。やはりここでも印象的だった水の流れ、注がれる水の清らかさ、お話から、そんな経緯でイランへの道が出来たのかと、改めてアフラ・マズダに出会われた先生に何が起きたのかと、そしてどうして先生が先生になったのかと頭をよぎりました。先生と面談させていただいた時、今先生が歩まれている道も意図したり 望んだりしてなったわけではないと、私が今の自分の流れを好むところ 好まざるとに関わらず向かうよりないと感じていることに共にあってくださったことを思い出します。
魂の語り、前の2つのイベントがあまりに沈み込むような眠気に襲われ、やっと魂の語りで頭が澄み渡っていきました。やはり本音は神との出会いの音なのだと、多くの人が本音で生きる生き方に目覚めたら、きっと世界は大きく動くと、心掛け 瞬間に生まれる言葉を 話すようにしています。
はじめは 参加を見合わせようと思っていた 琵琶湖ですが、亡き母が生まれた 中国での高句麗伝説に行かないと決めた自分が やはり何かおかしいのだと向かうことに致しました。五女山の建国からコーカサスのオスとメスの鹿が並び立つ姿に心奪われ、以前より ジェンダーでお聞きしていた男と女のある 何かに通じる大きな創造のエネルギーを予感します。そしてその中にある時、永遠の今の中に生きること、新しい生に目覚めます。ありがとうございます。