KEIKO KOMA Webサロン

永遠に続く至福


こんばんは。本日はコンサートありがとうございました。「驚天動地」という言葉が浮かびました。
会場に入ると鼻腔に広がる檜の馨りに心地よさを感じる。目的云々に縛られてはみみっちい聴き方と感じ、「さあ、頭と体存分に癒されてくれ」と五体投地のごとく拝聴。今までの苦労はこの音に出合うためにあったのだろうか。報われた気持ちに充たされる。自分が何をやりたいか、ではなく、この渡されているバトンを何をどうすれば繋げるか、そんな考えが頭をよぎる。そのうちに、もっと気持ちよくなりたいという思いがふつふつと湧く。今迄であれば、いつ演奏は終わるのかといった時間感覚に縛られたり、他人はどんな影響を受けているだろうか、他から見た自分はどんなだろうかといった他者の目が気になっていたが、今回は音への好奇心が産まれ、段々と没入してゆく。我がなくなって、世界と自分があたかも同一であるような感覚がたいへん気持ちよい。そんな気持ちよさを感じていると、ある一点の瞬間から頭のなかが空っぽになって演奏のクリアな音で充たされるようになった。この状態で何かしたら、、、たとえば、仕事でも、身体づくりでも、書をしたためても、音楽も、愛し合うことでも、、、何でもできてしまうのじゃないか。何でも楽しめてしまうのじゃないか。まさしく永遠に続く至福じゃないのか。そんな思いに至る。そして誰もが没入できて元気が出る環境を作れたら最高じゃないか?そう思った。まだまだ良くなれる。限界のなさも感じる。いつの間にか今までのコンサートで体験していた頭の痛さから解放されていることに気がつく。
そんな喜びも束の間。第二部で再び頭痛が発動する。じつは、「人のため、世のため、新たな世界を創造するためでないと人間性は発動しない」との言葉に、ズキンとくるものがあったのだ。そのまま演奏に身を任せていると、頭痛がだんだんと和らいでゆく。ひとしきり演奏が終わった頃には、自分は15キロ以上の長距離は一度に走ったことはないが、42.195キロのマラソンを走ったあとはこんな状態なんじゃないかと思うほど疲れ果てていた。アンコールが、まるでよく頑張ったねと言ってくれているかのごとく心と身体に心地よく染み入る。皆さま相当熱狂されていたのか、拍手が拍もテンポもリズムもバラバラで、「先生演奏しづらいんじゃないかな」と思ったが、それでも乱れない演奏に流石の一言。今、音楽の先生からも注意を受けているが、自分は周囲の音についつい流されてしまう。しっかり自分の軸を持ったまま他者を導いてあげられるようになるといいね、との言葉を頂いているので、心よりありがたくそうありたいと願う。
作成している目標達成シートを見せながらまわりと話していると、なかには「大谷くんはそれっぽく見せてるだけだよ」とか、「万人ができるわけじゃないよ」など、自分にはできないと諦めてしまうもしくは諦めてしまっている方に出会う時もあるが、先生にしろ、最近私が影響を受けているMLBの大谷翔平選手にせよ、せっかく夢や人間性を実現できたりと新しい世界を垣間見せて下さったり、導いて下さっているのに、実践しないなんて実に勿体ない。
仕事でお客様を運ぶ車の中に、(造)花を飾ったり、音楽を流したり、注意書の台紙に自作の墨流し染めを使ったりしているが、「心地よい空間をありがとう」と時折声かけをして下さるのがたいへんありがたく嬉しく思う。今日心地よく感じた檜の薫りも帰り際に購入。明日から車のなかで薫りを再現する予定だ。ホームページのアドレスを書いた名刺もより配る予定だ。人のためにやるわけだから、たとえば、鬱病やパーキンソン病からの回復についての情報、活脳についての情報でこんなことやあんなことを知りたいなど、生の声を交換したいのでもっとすすんで渡してゆこう。
今日はありがとうございました。
ではまた明日よろしくお願いいたします。

中川秀之
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