水色の聖なる空間
三鷹のコンサート、一回一回があまりにも大きな経験となっています。まるで高句麗伝説の時のように体中にコールタールのようにまとわりつく動きを止める体中を蠢くものが何なのか、電車が人身事故でいつものルートが通れないことからも大きなことが起きている今であることを思います。
美しい水色の水面、反射する美しい光、どこまでも優しく染み渡るその空間からはそびえ立つ十字架が見え、天を包むような水色の光がやさしく体に溶け込んでくるのが分かりました。
黄色に輝く内側からの光とひとつ、大いなる存在の御手に抱かれるような空間に内外ひとつの宇宙、圧倒的な場でした。
コールタールのように体にまとわりついていたものはどんどん空間に溶け込んでいき体中が焼却炉にあるような膨張するような熱量に包まれました。優しい香る風がその熱をいたわるように体のうちに吹いてくると慈しむ心、いのちひとつ、愛の体感がそこにありました。
29歳の時に天涯孤独になり、住み込みで働いていた母の住居が私の故郷呼べる場所でした。母亡き後、母の面影を探しその場を訪れた時の虚しさは、故郷に戻りたいのではなく、母と過ごしたあの日々を懐かしむ気持ちであることに気づきました。
悲しみを超える愛より、いだきに出会うことによってより救われることがなかった経験から、記録が記憶に変わり、愛による変容によりウクライナの方々をはじめとする多くの方々のもとに新しい風が吹き、新しい時代がひらかれますようにと祈りと決意の入り混じる三鷹コンサートでした。
愛の手拍子、心ひとつの時をありがとうございました。