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気づき


津軽愛というお米があることを初めて知りました。先生の田んぼで採れたお米は津軽愛と知り、自然と笑み生まれ、キッチンラボのお弁当に入っている先生の田んぼで採れた津軽愛をいただきました。先生のお母様のご葬儀の時に目の前広がっていた一面に広がる雪原と冷たい冬の風が吹き抜けました。津軽平野と心の中で呟いた時に涙滲みました。一口一口噛み締めいただくと、先生の人生を想うのです。講座にてお聞きしてきた人生を想い、先生に出会え、今、生命あり生きていることの奇跡を受け止めます。コンサートが開催される今日は、自分だけでない重荷をずっしりと背負っているようで、体が重く、不自由を感じました。先生の田んぼで採れた津軽愛をいただき、全身に血が巡ったようになり、生き返りました。そして「高句麗伝説11弾」コーヒーをお掃除に来てくれた仲間と一緒に先生が作ってくださった器にていただきました。器のぬくもりが全身に染み渡り、コーヒーは甘いと仲間が叫びましたが、全てを包み込む優しいお味でした。生きていることに安堵し、感謝するひと時です。体がしんどいと、生きていることに疲れたと感じることはなんなのかと考えます。先生が表現される世界で生きていると生きていることそのままであり、他に余計なことは頭に浮かびません。生命ある人間とし生きていける尊い時です。津軽愛は美味しいです。先生が生まれ育った土壌で育ち、採れたお米をいただける日が来るとは夢のようです。キッチンラボのお弁当は先生の田んぼの津軽愛です。ありがとうございます。

昨夜、ふと気づいたことがあります。京都での講座にてイスラムの神秘主義のお話を伺いました。私が縁ある中東やイランの方々はイスラムのシーア派の方々ばかりです。永久名誉市民となっているレバノン南部のテイールの市長様はじめ、ガジ教授もシーア派でしたし、イランでお会いする方々もそうでした。そして当時の駐日イラン大使は、先生のコンサートに初めてご参加された時のご経験を確認したいとおっしゃり、デイナーにご招待くださった時に、「人間は初めて行った所でも知っていると感じる感覚がありますね」と話されたのです。大使は魂の顕れとおっしゃったと記憶していますが、この感覚が生命の内に養われている先生を受け容れ、全体とひとつになり生きていく感覚であったと突然気づいたのです。生命の内に養われている感覚という表現は先生のお言葉ですが、先生を受け容れ、全体とひとつに生きる感覚とは私が感じたままに表現させていただいています。地球上のすべての生命の内に養われているとお聞きしたことが希望でありこれからを生きる大きな手がかりです。神秘主義であった大使はコンサートでこのことを確認していたのだと初めて気づくと、最近の講座、コンサートにて私が先生の一音から内面の深奥の世界に一挙に誘われ、真理を探究する深い精神の旅ができる経験を大使もされていたのだと気づいたのです。大使だけではなく、神秘主義の方や内面を中心に生きる方々は、先生の音に出会えればその経験をされておられるのだと目が覚める発見がありました。私がわかれば、同時につながる人々、世界があることも見えました。過去に先生のコンサートを経験された方々が同時に気づいている可能性を感じ、目の前が拓かれます。私が最近のコンサートで経験させていただく内面の深奥の旅を世界中の人と共に経験できれば、人間の生きる世界は一気に変わると見え、今日もコンサートにてどれだけ先生のメッセージを正確に受け止め、理解できるかがとても重要と考えます。世界中の人に伝播する経験なのです。尊い一席に座らせていただく恵みを世界中の人と共有できますように、臨ませていただきます。ありがとうございます。

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