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母の月


母生きている間は5月が母の月でした。誕生日5月29日が母の代名詞とし、薔薇といちごと準備したものです。今母の亡くなった2月が母の月となりおぼろの大きな月にも母が重なり、従姉と近くにでかけ、商店街を歩いても母が共にいる気が致します。昨日は久しぶりに伺ったお宅でアンドロメダエチオピアコーヒーの美味しい話となり、母が存命だった頃母の話からコーヒーの美味しいこと、先生のことへ話したことを思い出します。亡き母にも後押しされたように地域の活動を続けておりますが昨日も多くのことがあり、前日の5日アントレプレヌールサロンにていだきしん先生の話されたことが腑に落ちるばかりの一歩、また、いっときの連続でありました。
3年前より良からぬ人類削減計画のことは調べれば辿り着くのでそれを、なぜ今話されたのかと考える間もなく答えは現実にありました。先生が「死なない」と書くように言われた、その一事が、すべてを表しています。
先生、本当にありがとうございます。
2日たち、私の大恩人、小説の柱を共に辿り惜しみなく示唆続ける時をもってくれた人が昨年末から気になり電話に出てくれず、11月末亡くなっていたことをつい先程知りました。10月私はどうしても会わねばならぬと近くまで行きましたが留守で会えず、ずっと気になっていたのです。コンサートを何度も誘いながら遠方を理由に来られませんでした。彼のサジェスチョンは私の中で成長し今に至っております。
いだきしん先生、高麗様、透き通るこの宵を誠にありがとうございます。明日、コンサートがございますことが幸いです。本当にありがとうございます。
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六本木東京高麗屋にて
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多賀城 和歌珈琲前にて
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比叡山 お茶室にて_3