死生観
京都での応用コース、ど真ん中にある時間でした。
最初の迎賓館コンサートのお話から、死生観を考えていました。キリスト教は小さい頃、叔母から子供向けの本を読んだ程度ではありますが、死を境に天国という別世界へ行くという思想の中で、永遠とはどのようであったのかと考えました。
最後の審判という裁きのようにも感じるものの中で、私ならばあとについていくという気持ちになってしまうようにも感じる中で、愛であり魂であり、不変なる時の中から生まれ生き続けるもの、変えられていくもの、改めて宗教の歴史を知りたくなりました。
もう一つ心に残ったのが、男だけ、女だけでは弱くなるということ、以前酵素玄米の講義をお聞きした時の両極がスパークするというエネルギーのお話、体中が充電されるようなコンサートの経験と繋がります。先生にお会い出来る恵み、いのちそのもののはたらきを活かしてこれからも前に進みます。ありがとうございました。