死について
今となっては、笑えもする危篤ですが、初めてのことはいろいろなことが起こり、たくさんの想い出を残してくれた母でした。納骨の日、写真には、明らかに母の魂の光りが私の頭上にまぁるくありました。お寺の急で長い階段を降りる家族には、光の反射としても、眩いほどの明るい光りが、斜め上から圧倒されるほどの光りとなり映っていました。
写真を見た瞬間、お母さんだと感じ、嬉しくなりました。
みんなといろんな所へ行き、楽しかったなど、たくさんの言葉を残してくれたのは、在宅だったからと、在宅医療にして良かったと感じられるところです。いつも、お母さんは幸せだね!と言っていた母です。心残りは100才まであと19日だったのに、大正11年、1月、11日生まれという、1並びの数字は、高麗さんのお父様を感じられる1並びでした。
母あって、高麗さんがはじめられたいだきに出会えたのかも知れないですね。
魂のことはまだよくわかりませんが、先日の死についてを受講させていただいてから、母、父を想う気持ちが、今、死を受け入れていく、なにか、確かな感覚として、変わってきたことを感じます。