歴史の闇の覆いが解けて
朝、目覚める前に受けたメッセージといいますか、よく夢で教えられることでありますが、3才の時から歴史の影、闇に覆われていた覆いが解かれたことを教えてくれました。いつも「高句麗伝説」にて「父」の詩を詠む時に、「夕暮れ時、父の背中におんぶされ、歴史の影、悲しみ、無念な思いを感じ。。。」と表現させていただいていますが、この時に受けた歴史の闇の覆いが全て解かれていったことを図形から教えてくれました。それがあった為もあり、今までになくうれしく心ときめき、何を見ても喜びを感じる朝を迎えた3月のはじまりの日でありました。お茶室の完成を亡き父は自分のことのように喜んでいるとわかります。3才の頃の記憶はいつも「本音で生きてください」の講演会にてお話させていただく、「自分は何故生まれ、どう生きているのか、死んだらどうなっていくのか、死が終わりでも別れでもない永遠の世界をわかりたい」本音が生まれた場面は今でも吹く風まで鮮明に覚えています。父の背中におんぶされた時の夕暮れ時の夕暮れ空と吹いていた風もはっきりと覚えています。同時に父の背中から歴史の悲しみを感じ、涙したことはいつも心にありました。表が裏にひっくり返り、私の内にあったことは今は裏も表もなくなりました。やっとあるがままに生きていける時が来ました。闇の覆いが解けたことを教えていただき、歴史が変わると見えた瞬間、生命喜び駆け巡りました。
ふと思い出したのですが、京都に拠点を創った後に、お会いした方に教えていただいたこともあり、偶然本でも読んでいたこともあり、何かの縁を感じ、ある歴史ある寺に行った時に、庭の作りが亡き父が創ったようだと驚いた衝撃が忘れられません。ちょうどキンモクセイの花が一杯咲き、香りが辺り一面に漂っていました。懐かしく涙して庭を歩いていると、そこにはお茶室がありました。その佇まいも魂は知っていると確かに感じる懐かしさに胸震えました。高句麗縁の地と聞いていたので、魂は間違いなく縁があると感じていた庭とお茶室の佇まいが突然思い出されたのです。また、以前、当時の在レバノン大使を銀閣寺にご案内した時に見たお茶室には心惹かれ、見せられました。この度、比叡山にお茶室を創ることになった時、はじめに建築士の方に申しあげたことは銀閣寺のお茶室のように創ってほしいという要望でした。今は、茅葺き屋根は創れないと聞き、昔のようなお茶室は創れないと聞いてから、私は、あまり乗り気がなくなってしまったのです。が、先生はほぼ完成間近の時に、とても有名なお茶室のお話をされ、建築を変更していただき、この度のお茶室が誕生したのです。宇宙を感じるひろい空間に身をおくことがこんなにも自由で幸せを感じるものであるとは生まれて初めて経験します。
とりとめもなく書かせていただきましたが、3才の頃から身とひとつに刻まれた歴史の影、闇の覆いが解かれたことを教えてくれた日がお茶室のオープンとなり、歴史的な日となったと感じ、表現させていただきました。これから真の自分を100パーセント活かし生きることは歴史を変え、新しい歴史を刻む人生となります。お茶室の誕生がこんなにも歴史的であるとはただただ驚き、言いようのない喜びが生まれます。ありがとうございます。