歴史の大転換
この日、またコンサートをお伝えたしたい人を見つけ、連絡先を追い続けました。キリスト教の大学に10年前、講師とし勤務されていたけれど今はお辞めになられていたので、著書を出版されている会社に連絡を取るとご配慮いただきメールを転送してくださることになり感謝しました。
渋谷には早く行き過ぎてしまい、しようがないから、とずっと奥の道を歩いていくと、目の前にマリアと書かれた大きな文字が目に入りました。後から思うと何か象徴的だと感じました。
一部のメッセージ、人生、では、はじまりの一音はお腹の中に広がり、なんとも言えない余韻を感じました。次第に内にともにある幼い子の魂を感じつつ、音と過ごしていく内に、どうにもならないけたたましく鳴り響き問いかけ叫び続けるピアノの音に、目覚めた魂の声を聞きます。それは途中で一度確かに聞こえていたのです。しかし、魂の声はまるで、風のようによほど自然にしていないと消え去っていくようです。新たに目覚めた魂はピアノの要求にやっとわかると、すべてを取っ払って、胸を広げ、貴方をこの胸に抱きたい、と言って、舞台に向けて手を大きく広げさしのべました。愛を表す魂の真、に衝撃を受けた一部での経験です。
二部の、女と男、では。。
続きは寝てしまい、4羽の鳥たちが喉を鳴らしてよい声で起こしてくれた朝に、書かせていただいています。
二部ではお腹の中で世界中あらゆる神たちがピアノの、音と一緒に踊り舞っていた、色とりどりと感じる大変雅かな祭典でありました。
次に待っていたのは、悪魔です。悪魔が右側にへばりつくようにいて、それは大いなる存在にやっつけられやられてしまいました。そして、大きな体をしたキリギリスが宇宙から出ていきました。次は、わたしの身体の、右半身から薄い膜がはがれるようにして、被っているものなのか、少しずつ剥がれていきました。新しい自分が残り、本質が現れてくる体感でした。
ピアノの音は途中、小さな教会の鐘の音のように聞こえ、乾いた石畳にもの悲しく響き、貧しいけれどその村に住む村人たちの乾いた心を潤し、神のもとで慎ましく暮らしていた光景を感じ、ここは何かあった光景だと魂は知っていて悲しく感じていました。
そのピアノの音に、幼い頃よく遊んだ、幼ななじみの家に続く途中のでこぼこの道があらわれ、涙がでてくるのです。今書きながら思い出すと、そこのおばあさんはいつも意地悪で、その家に遊びに行くと、ひとつは嫌な事を言ってきて、悲しい気持になっていたのかを、今わかり、涙を流していました。このことから、闇と光はひとつにある、ということも分かってきました。
アンコールの音は、「わたしは貴方と同じ世界に生きることができて本当に嬉しく、この時が来てくれることをずっとまっていました。」、と、言葉になります。イエス、おおいなる存在の声、と感じました。
2000年の時を超えて、ずっと消えなくあり続けた永遠の魂は、誰も知ることがなくても、歴史の真実を経験できたこの祭典に、すべての神々が、おおいなる存在の元で祝福してくれているようです。
コンサートで、このような経験をさせて頂き、人間の生における歴史とは、を、考えます。
何千年も繰り返し、現象を変えて起こってくるその中で共通する大事な「何か」をメッセージとして伝えてきていることを、表現させて頂くことで感じます。
感情論ではなく、論理的に考えていくと、どう生きて行くことが今回の人生なのか、運命開放して頂いていますので、後戻りはおかしいことなのだと、よくよく理解が深まり感謝しています。
おおいなる存在はたらいて下さる、人生の大転換期のコンサート、誠にありがとうございます。