歴史の大ロマン
お金や物を神のようにして来たこの世は変わらなければ先は無いとはっきりわかったのは応用コースで先生が白板に物神化とお書きになったのを見て深く頷いてしまいました。いつも応用コースで知っている狛江の会場でのコンサートは先生のピアノの音がとても近くにダイレクトに聴こえていながら、遠くにありました。心が散漫になっていました。普段の在り方とよくわかりながら座っているしかないのでしたが、体はなんだか苦しいので眉間にシワが寄ってきます。お金勘定をひと月に何度もして残りいくらあるのか、確かめることをしないとお金を使う計画ができません。小さな単位のお金は頭に入っても、大きな額になるとお金の計算ではなく必要か否かでお金を使います。どうやら小さなお金と大きなお金という構造が頭のなかで出来ているようです。小さなお金で頭を使うことの方が圧倒的に多く、大きなお金になると頭のなかのお金に対する許容範囲が飛ぶような気がします。老後を心配するのもお金の心配からでした。
疎外は一生のテーマと考えますが、コンサートのアンコールのラストで先生のピアノとひとつになれたことがすべての未来です。
昨日は狛江の会場でマーブリングの絨毯マットに出会えました。歴史の大ロマン。とお聴きしました。青と紫、若草色、そして光りが左斜めから、存在があらわれています。
狛江でのコンサート、応用コースをありがとうございます。