正気と狂気のはざまにて
地鳴りかと思うような太鼓の音に、それこそ五臓六腑の隅に隠れていた黒いものが剥がれ落ち、消えていくのを実感した。「体がぐらぐらしました。」と久しぶりに顔を見た男性が言う。かれに会えてよかったけれど、一番期待していた男は来なかった。「ひきこもり」のままのようだ。(瞑想の会の方には顔を出していたようだが)かれが「囚われている」ことを思い、折角ここに「救済」があるのに、と残念でならない。京都ではとんでもない狂気が多くの人の命を奪っていたのだ。昨夜の「高句麗伝説」で、一番強く得たものは、たとえ何がなくても、お金がなくても、いまやり直すしかないという「使命」のようなもの。自分のことなんてどうでもいい、まっすぐ「真」の方に進んでいくならば、挫折しようが、遭難しようが、力尽きようが、そんなことどうでもいいということ。しかし、いつまでも「狂気」が気になって、中々ねられなかった。今日は、「正気」を確定したい。