KEIKO KOMA Webサロン

次世代が生きれる場を創る


2夜連続のコンサートを誠にありがとうございました。
さくらホールでの、途轍もない経験を少しずつ下書きすれどアップできず、風のホールの経験に至った事を悔やむ事からはじまったコンサートでした。日頃から高麗さんが経験を表現することの大切さをお話しして下さっており、其の事が身をもってわかります。常日頃、あらゆる事において、まるで神さまが導いて下さるかのように寸分の間もなくピタッと進み、心地もよく過ごさせていただいておりましたが、今日は何なのかと思う事の連続で考えながら聴きました。ほどなくして “はるか彼方の中心”、軸が変わったお話を思い出し、体得しようと努めます。聖域に関する深いメッセージを直ぐに理解できることはなかったですが、聴いたこともない先生の表現の中に居られることが只々尊く、しあわせでした。自由の源まで経験させていただいた三鷹でのコンサートを経て、書き込みを拝読し、ビデオ講演会をお聞きし。今現在はまったく新たな軸が備わりありがたい限りです。真の自分あらわし輝き生きて、子供たちが生きれるすべての環境を創りあげていきたいです。

昨日は用事があり、朝から車を走らせていました。木の葉が色づき、枝のひとつひとつの輝きも新鮮でした。ふと見ると小学生の列があります。ランドセルを背負い、健気に歩く子供たちの姿から思い出したのです。何かわからないけど学校へ行くのが嫌だった。母は私に「人生の中でほんの短い間だけだから」とやさしく諭し、何度も慰めました。当時は登校拒否などという言葉すらなかった頃です。私が嫌だったのは管理、監視だったことに気付き涙が溢れました。学校へ真面目に通い、親や先生のいうことをよく聞き、成績を上げようと努めることが、まさか人間性を失っていく栄養になっていくなどと思いもしませんでした。
スマートフォンのあらゆる作業で、当初より小さな抵抗を欠かさず行ってきました。腹の底では「その手には乗らないぞ」。しかし抵抗は抵抗にもならず生命、内面は蝕まれていたのです。恐ろしいことです。生命にとって負担になっている見えない要素を命かけて取り払って下さる先生がいらっしゃいます。わざわざくもらせるのも自由ですが、そんな失礼な事はないと考えあらためます。自覚できる凄い変化も氷山の一角で、実際、おこなわれていることすべてを理解するには程遠いという、世界で一番、もしかしたら宇宙一おもしろいところへ来ていて、標準で生きていくなどと、もうぜったいに出来ないとわかります。

昨日の早朝、道ゆく人々に人間のかなしみを見ました。後方から迫るバスに手を振り合図を送りながら必死で乗り遅れまいとする白髪混じりの男性に、飼い慣らされてしまった人の姿、と哀れを感じました。学校で学んだり、何かを勉強すればするほど小さくなっていくということはよくわかります。この11月、何を学んでも小さくならない術を体得させていただいていると実感します。聖域、自由・自律、を経験させていただいたコンサート会場のホワイエには「自律した女性」を象徴する4枚連写の高麗恵子さんお写真も出迎えをして下さっていたのでした。
いろいろなことがすべて力と変わる、かけがえのない「いだきしんコンサート」を真にありがとうございました。

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NPO高麗 東北センターにて(8/31)
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お茶室にて
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