東北
ウラジオストクでのデキュメント上映会開催のご連絡をいただき、こうしちゃいられないと早朝東京から車で岩手にやってきました。山際に入る大きな春の月も東雲の空も、藍を重ねるようにうきあがってる山波も、いつまでも強く美しい輝きのひとつの星も、その光景が先生のサウンドといっしょに進んでいく世界で感動して到着しました。
ウラジオストクからの高麗さんのかきこみを読ませていただいてから、ウラジオストクでのピアノの音に触れてみたい気持ちでした。上映会でその場面がやってくると、胸のなかがふるえて、涙があふれました。こんなにも、胸のうちがうごいて、今朝は胸の奥が痛いです。
お一人お一人の極めて生きてきたことと、先生の生命に 会う ことと、はじまっていくことと。一貫し何をやろうとしているか 生命ぜんぶで語れること。自分は、そういうふうに、人の前にたてているのか、ピアノをひけるとか、絵が描けるとか、お料理ができるとか、なにも極めていってることがないけれど活動はやめられない自分がいます。今まで会ったことのない人に会いけるよう実行しつづけます。
ファツィオリさんのピアノをつくっている場は、静かなこと、一緒にいただいたワインは美味しかったこと、雨のなか木々が傘のようななって楽しくみんないらっしゃる空気。小さなお子さんがいらっしゃること…おはなしくださいました。そこにいないのに、一緒にやってみたいと、つつまれているように やさしい空間でアンコールみたいと感じました。
尊い 東北の地での時をありがとうございます。