KEIKO KOMA Webサロン

東北の開放


多賀城での講演会があるとお聞きした時に、なぜかこれは行かないとと感じ、予定していた予定が薄まっていく感じでした。こういう時は流れにのって進むことが大切とわくわくする気持ちと共に多賀城に入りました。

準備は最低限のコーヒーを抱えるだけだったので、観光案内で地図をもらうとアラハバキ神社が目に入り、向かう道は歴史を辿るような城跡を巡る旅になりました。蝦夷の神様と聞いたことがあったので強く惹かれ、すぐにここと行き先は決まりました。

今回はお伝えする修行と考えて向かったので、バスに乗り合わせた方に話しかけ、とても親切な初老の方が途中まで一緒に案内くださるという流れになりました。道中共にする中で、秋田出身の方と知り応用の先生の話が浮かびました。

その後、城跡でも多くのガイドの方と交流することになり ずっと多賀城の歴史を聞く 巡りとなりました。次の人が話すことなくなっちゃうなぁと話はつきない様子で、多賀城をとても愛している その方々の想いが伝わりました。

ずっと隠されていた石碑はやっと平成10年にそこに書かれていることが真実であると認められ、重要文化財になったと聞きました。そこには 奈良の都、蝦夷の国、常陸の国、下野の国、靺鞨の国(昔の 渤海の北の国とのこと)からの距離が書かれていて 私はとても不思議に感じました。

北の軍事拠点である多賀城 という風に聞いていますが、渤海の北にある国からの距離とは 海を隔てて どのように測量したのだろうかという疑問が湧きました。また敵国というようなイメージだったらそこに入って測量することなどできたのだろうかという疑問も湧きました。その中で様々な歴史の変遷を経て多くの人たちの想いがここの大地に込められているということは察するに あまりありました。渤海との交易は盛んで秋田から多賀城へのルートがあったということを話されている方もいました。私には多賀城から様々な方面への距離が書かれている その石碑に、この要の地で先生のコンサートが開催される意味を知り 震えがはしりました。

アラハバキ神社に向かう途中に 総社宮という塩釜神社へ行く前にはここをお参りしてから行くということになっている神社がありました。方角的に上賀茂神社のような役割をしていたのではないかという風に感じました。

道中 農家の方とお話する機会もあり、私には蝦夷の方がそこに現れたのではないかという風に感じるほど 現在に生きる方に見えませんでした。自嘲気味に 多賀城には歴史に興味なければ来ないですよね とおっしゃる 瞳の奥の深さに、歴史を解放するということの意味を知る 思いでした。

高麗さんの講演会では背後のタペストリーがまるで歴史の渦のようで、心ひとつで 活動される方々の熱気に入るだけで心が高揚しました。高麗さんにもお見立ていただくという機会に恵まれ、新しい自分でお役に立てる人間になりたいという気持ちが湧きました。

まつろわぬ民…従わぬの民 という意味でしょうか、自らの心に従った方々の様々な思いが交錯するこの地で先生のコンサートが開催される喜びでいっぱいです。ガイドの方が荷物を預かってくれていたので、アラハバキ神社に行くことはかないませんでした。また訪れることになっている巡りを感じ、自分にできることを考えていきます。貴重な機会をありがとうございました。

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