東北の日々
生き様が言葉となり自分の身体にダメージを与えるような表現は、人にもきついことを自覚して始まりました。東北の日々。人からの言葉は生き物のように纏わり付そして、そのまま互いにダメージを与え、あらわれることに触れスタートした盛岡のDivine Agesピアノコンサートでした。一音、心の底に響きました。そして経験してきたことは、更に白黒ハッキリして霧が晴れていくように感じ、自分のありさまを自覚します。2部には、目には見えないのですが祖父母、父母、叔父たちが一緒にコンサートを聞いているようでした。これから先生の空間にて人生を豊かに元気に生き高麗さんの役に立つように稼げと、後押ししてくれているように感じた時、涙が溢れてきます。翌日の大ジェンダーで、グーの音も出ない自分を認め、始まった新しい心の働きに心打たれ、最終日の応用コース、能力を上げるには力不足で好きなことを進めるタイミングを逃している場合でないこと、もっと素早く働き、高麗さんのお話のマーブリング模様の世界中に発信する建物の事業に参加してい来たいと希望が生まれます。先生、高麗さんに出会えたひとりの人として真っ当な人間となり、コンサートと講座にて先生、高麗さんにお会いできる機会には身を運び働きます。好きなことをできる能力を上げて行き育み未来に向かうことを望みます。
東北の日々を、ありがとうございます。
尊い時、先生、高麗さん、ありがとうございます。