本質を問われる今
京都からの日々、ずっとお腹の調子が治らないことに何が起きているのかを考えます。東北での講座は自分にとってはより本質を問われる経験だったと感じています。連日の講座を聞ける恵みが何よりも代えがたく、お話にあった一度きりの人生をきちんと生き切ることを改めて整理します。社会のルールに合わせて生きることは幸せにはなれないことを日々 痛感しています。
共に在るということ、昔、ある歌詞の一節から気付いたことがありました。
ここにあなたがいないのが寂しいのではなくて、ここにあなたがいないと思うことが寂しい
あなたがいないという事実は変わらないのに寂しいと思ったり思わなかったりする、孤独感とは 内面の状態に左右するものだと感じ、共に在るとは時間と空間を超えて ひとつであるということだと分かった経験がありました。死を看取る 介護が究極の介護という先生のお言葉に、改めて内面的に共感して生きていくことの大切さに気付きました。
もう一つ大きく心に響いたのが最終的に意識になるけれども意識から始まってはいけない 、意識が先行しないというお話でした。曖昧な理解が整理できました。
高麗さんのビデオ 講演会では、サタンのお話が衝撃的でした。光にならない存在 というのがあるのだということと、存在なのか 状態なのか気にかかりました。改めて自分が見てきた 今までの世界とは違う スケールの大きな世界に出会う機会を与えてくださった先生や 高麗さんに感謝するとともにこれからどう生きるかを改めて自分に問います。ぬくもり溢れる講座をありがとうございました。