未来ある方向
コンサートに於ける、何万光年も遠くとひとつに生きる光である自分で日常を生き始めるということは大変不思議な日々です。眠りも生活も運転も頭の働きも全て違う次元にあり新たに覚えていきます。
昨日の3つの講座と講演会にて、来年から許されないことと未来のある事の違いが良く分かりました。
昔から両親と話すと始めは涙が出る程に分からない状態でした。いだきで生きる事を軸に語り合い続けて少しこちらに向いてくれると空間はパッと明るくなり顔も変わり、漸くその日は話す事を終えることができ安堵しました。
コンサートや講座で沢山の「間主観」の経験の場を頂き、新しい生き方へとそれぞれが確かに変化して行く事ができます。人類が生き延びていく方向にさえ在れば大事な人と生き方を違える事なく共に生きていけること、内面を汚す事は無いことに感謝が溢れます。
男関係で心も身体もおかしくなり落ち込むというお話しは昔から聞いて来た事を目の当たりにして何かがショックでした。本当は満天の星のように沢山輝いている女性の命が陰っていく繰り返しは、いつも自分の胸を斬られたように寂しく悲しく、これからの時代は断ち切らないといけないとよく分かりました。誰もが求めている愛のままに生きていく時と受け止めます。
京都コンサートの光満ちて優しく幸せな愛に満ちた空間はイエスキリストやいだきしん先生の存在の顕る空間とお聴きしました。見えるということは本当に凄いことで感服します。ビデオ講演会にてイエスキリストの誕生前夜についてお聴きしているときもその光景が目に見えるように感動と涙で胸いっぱいでした。見える方のお言葉から経験出来る豊かさを共にさせて頂いています。
新しい年に向かえる豊かな心身を得た二日間を有難うございました。今まで通りでは生きていけないこれから、いだきしん先生のように全ての人や宇宙に必要な生き方が要と分かります。