KEIKO KOMA Webサロン

書いて、書いて、書いて!


 

神戸の大震災から28年目。思えば、あの頃から「ひとり」だったのだ。その前の年、母が死去し、関東大震災以来、地震のことを怖がっていた人に、恐怖を味わせることがなくてよかったと、まず思ったことだった。倒壊こそしなかったが、本の下敷き状態から起き上がって、瓦礫の街を彷徨したときの気持ちはいまだに鮮明だ。家も仕事もたつきもなくなり、身寄りも知人もなく、変に明るい気持ちで、むしろ高揚し、「生き残ってしまった!」という感覚を、むしろ楽しんでいた。避難所に行くも満員で入ることもできず、山行経験があったので、山道具を出してきて、川の水を汲んできて、コーヒーを飲み、シュラフで一夜明かした。寒かったけれど、気持ちは縮こまってはいなかった。まあ、東京へでも帰って、何か新しい仕事をやるか、なんて思っていた。

そう言えば、あの頃から「ひとり」だったのだ。さっきも知人に、「元気だが、現金はない!」と洒落を言ったところだ。震災直後と経済的にはあまり変わっていな。(これが課題だ!)でも、あまりオロオロもしてないし、向こう見ずにもなっていない。いま、やれることを丁寧にやっていくだけよ、という気分。この11日からいろいろなこと(怒涛の「高句麗伝説」、革命の「存在論・応用講座」、そして企画した「サロン」の連続、学校の授業再開など)があり、ゆっくり記録もメモも取れていなかったのだが、(毎日の日記と修養ノートはかろうじてやっていたが……)昨日から二日がかりで片づけた。そう、とにかく、記録を書き、企画を作り、手紙を送り、SNSの整理もやった。手紙を書くのは、人間関係を築くことだ。そう、まさに「書いて、書いて、書いて」状態。すると、決して「ひとり」でないことが心に染み込んでくる。わたしを頼ってくる塾生もいるし、わたしと企画し行動する仲間もいるし、これから出会っていく人も多い。少なくとも「ひとり」だから援助してくれと言うのでなく、「ひとり」だけれど、頑張って生きていますよと伝えたいのだ。

それにしても、本音とまでいかなくても、自分の心をそのままに書いていくことは、心の中を元気にし、すっきりさせ、さわやかにすることだ。「書く」ことは素晴らしさを痛感する。(1/17)

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