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曖昧な質問と究極的なお答え


医師とのやり取りの中で、施設のお年寄りが食べないからといって点滴をするのではなく、点滴をするから食べないという生命の実相をそのまま受容されて、この状態を解決するのはその「一人の命のために料理を創る」ことだったとのお話には絶句しました。しかも老人ホームでの出来事は毎回「初めて聞く!!」と感じるほどの驚きばかりですが、このあまりに人間的な介護が実践され続けてきた背景は「人生を経験するような介護を目指す」との先生の方針だったとのことです。「究極」と「究極的」の違いについて組織神学の神学者パウルティリッヒを紹介いただきましたが、何度も読ませていただきました。イエス様を新存在とされたことがまたまた質問の答えに重要な意味があることを自分は感じました。やはり先生が全体の存在であられることに通じていくと、あらためてピアノのことも考えました。

講座の最初に先生がピアノの音に出会われた時のことを質問させていただいたことの意味は自分ではわかってなかったことを、先生のご指摘でわかりましたが、先生はさらにその上でわたしが本当に知りたいと考えていたことを今回の一連のコンサートメッセージやコンサートのお話を通して答えていただいていたことでもあったことが最後にわかり、何とも有難いことと感じ入りました。先生から「岸本さんから始まっているんだよ」との最後の一言がなかったら、わたしはそのことさえわかったのかどうか?実際、先生のお言葉がなかったら最初の質問との関連性を忘れて次々と展開される先生のお話に納得はすれど、質問の答えが最後まで繋がっていたことに気づけなかったかもしれません。いつもいつもありがとうございます。

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