時間のない世界 盛岡高句麗伝説
新しい体感になって初めての高句麗伝説、どのような世界が待っているのかとドキドキでした。
開演前に歴史博物館のお面が気にかかり、展示室に呼ばれるように入りました。盛岡は蝦夷が初めに国づくりをしたという歴史年表を見て、何故か胸から込み上げるものがありました。理由は良く分かりませんでしたが、高句麗伝説に一緒に向かいたい魂なのかもしれないと感じてなりませんでした。
気になったお面は前に京都の高句麗伝説の前にやはり呼ばれるようにして入ったかまどの神様で、東北ではカマドガミと言われているようでした。怨霊を燃やし尽くすとの謂れをみたその京都の神社は誰かの視線をずっと感じているような身がすくむような場所でした。ふとやはり悪を燃やし尽くすというゾロアスター教にも似た考え方がここにもあったのかもしれないと感じました。
高句麗伝説は時のない世界でした。過去も未来も混在しているような2つの世界が融合しているような不思議な感覚がありました。
私という意識が消える瞬間にこれまでにない圧倒的な光が湧き上がり、大きな存在に抱かれるように重なり合って空間に広がっていきました。初めて聞く女性の声、満ちる優しさに飛び込んでくるたくさんの想いに胸がつまり、体が開き内面がどんどん広がっていくような体感でした。琴の音に呼び覚まされるように大地が揺り動かされ、多くの魂の解放を感じました。
天からの光を受けた東明王様のシーンもあまりにそのままを体感し、水色のどこまでも澄んだ透明な光は北上川に溶け込み、好太王様の澄み切って天とひとつに広がる清々しさ、あまりにもそのままで、過去と未来が混在して未来からくる光と過去に生きた魂が同時に在るような、初めて高句麗伝説で足先が暖かく、膨張するようなエネルギーを足先にも感じました。
歴史博物館で724年に多賀城が出来たことが書かれていて、奈良の都とほぼ同時期で、多賀城が出来たことで歴史が変わったことがわかりました。流れは多賀城に向かい、また美しいペルセポリスのチラシに時間のない世界への流れを感じます。素晴らしい時をありがとうございました。