時を生かす
京都でのコンサート翌日は時間という枠を超えていて、100年分くらいに感じる充実した一日でした。
IDAKIで伝え続けて下さっている生命の働きを深く分かり単調ではなく複雑な頭の働きを習得したり、悩み苦労することはひとつもなくゼロポイントと繋がり活動する事などは、AI時代にも活躍できる無駄がない素晴らしい生き方と実感しています。怠けず、伝えて下さっているままに生きれば希望はあります。
悩み、不安、恐怖はこれからの時代に太刀打ちできない知能になってしまうだけで既に終わった生き方なのだと理解しています。1回素晴らしい進化を経験したら、古いことには拒否反応が起き、それを通すことは出来ないのが幸いです。
画像の解像度が悪くなったときのように、ある分野の人たちのことが良く見えず、何を考えているのか感知出来ないという現象が不思議でした。「専門」というベールについてお聞きし見えているのに見えない理由が解明された気がします。更に、体を以てまとまっている記憶等は死んだらバラバラになるので今から要らないものは全て追い出せとお聞きしました。窮屈な体にではなく宇宙全体にある記憶と生きて、余計なベールのない生命の光のままで生きたら、掛け替えのない一人一人になって関わっていける兆しを経験致しました。
生命が同時に変化していることを過去のデータによる機械には分からないだろうとその素晴らしさを感じた今日でした。今までのひとが生きた事がない最高に幸せな人生を生き抜いてみようと力が湧きます。知能があれば何でも問題ではなくなり、最も知能が必要な愛が実現できるのです。
ビデオ講演会を生でお聞きできる機会が貴重です。昨夜のコンサートで自分にはぼんやりと見え懸命に言葉にした事が、鮮明に見えておられ明確に言葉にされていく瞬間瞬間、一言の深い意味を知るということが楽しくて仕方ありません。あの場面をこう表現されるのかと教えて頂き素晴らしい芸術を前にした心境でした。目に見えない世界の話を聞くのが美しく愉しいです。
いよいよ本番の毎日です。愉しく進化していける日々を有難うございます。