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“春もたけなわ”


すっかり葉桜になり、榎や楠の新緑が美しい。そして、藤の花の紫が輝いている。まさに「春たけなわ」である。「いかがお過ごしですか」という手紙を書きたくなる季節だ。ところで、「春はたけなわ」というと、少しニュアンスが違ってくるのはなぜだろうか。

「わたしコーヒー。」――この場合、話し手は、ほんとうにコーヒーを飲みたかったのだろうか。紅茶にしたかったが、みんながコーヒーというので、ついつられて、あるいはホストの面倒をおもんぱかって、言ったまでで、つまり軽い嘘をついたのかもしれない。

もう死んでしまったがパートナーの女性が、すぐに「わたし」と同調してくるのが嫌だった。こっちが一生懸命に考えて導き出した思いに、よくも考えずに同調されるのが、癪に障った。――どうも「も」が気になって仕方ない。

日本語は助詞助動詞が重要であり、気持ちや情緒は、主にこれにゆだねて発話している。有名な「は」と「が」の使い分けもそうだが、まだまだ明解な文典が出来上がっていないのが事実。「は」と同じように「も」も係助詞(副助詞)であるが、「は」と同じように主格(主題)を示すからややこしい。そして、「も」は「は」と同じではない。「AもBも」と用法が基本であるが、「中学生入賞した。」の場合は、一種の協調、驚きであり、他の主語との並列列挙とは違う。――もう少し、「も」について、分析と用法説明があっていいものだ。

ところで、この度、一つの気付きを得た。これは、会話や対話のときに、がぜん力を発する助詞ではないかということ。もちろん記述にも多用されるが、これは論理的に並列や列挙が多いのであって、対話場面に見られるような独特の味わいではないようだ。

「春たけなわになりました。その後いかかがお過ごしでしょうか。」

もちろん主題は「春」であるが、それを見事に「見せ消ち」にして、「(あなたは)いかがお過ごしでしょうか」につなぎ、「主語なし文」ながら、述語をみごとにサポートしているのである。まさに、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」式の名文になるのだ。だから、「春は」とすれば、主題が目立ちすぎ、後の会話をぶち壊してしまう。このような対話型の助詞「も」の側面を思えば、先の無責任な、思考停止的な「も」も寛容できるかも。あくまで状況依存型の日本語の重要な助詞なのだ。

このような「も」は、「チャットGPT」の感知するところだろうか。(4/17)

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