春の息吹
明日はいよいよ待ち望んだアントレプレヌールサロンでいだきしん先生にお会いできる日です。10月23日のコンサート以降、いだきしん先生には講座やコンサートでいつでもお会いできると、当たり前くらいに考えて生きていました。10/23のコンサートの時、自分は何かあったらオロオロするだけで役に立てないことが露呈しました。そんな自分を立て直す機会を高麗さんが「出会いの一日」という催しをすぐに開催してくださることで、自分のあり方、魂のことを深く考える日々となりました。またアントレプレヌールサロンが開催される予定であった日には「高麗恵子 いだきを語る」という、こちらも「出会いの一日」と同じく経験したことのない催しにより、いだきしん先生のことを理解する機会をつくってくださり、いだきしん先生は生命生きれる様にいつもいっしょにいてくださる存在であることを身を持ってわかっていきました。上手く行かない時は、我により先生のことを受け入れていないこともわかりました。毎日のビデオ講演会やWEBサロンへの高麗さんの書き込みにより助けられて、高麗さんのいだきアントレプレナーとしての経営者のあり方を学ばせて戴くことが多く、高麗さんの苦しい状況であることのほんの一部より理解できませんが、できる限りいのちひとつで在りたい、こんな時こそ役に立ちたい気持ちで過ごして来ました。場は離れていても、以前の様に寂しいとすがる様なぶら下がりの状態では、先生や高麗さんに負担がかかるだけと自分のやることに日々集中することで少しずつ変化していきました。さらに「出会いの一日」「高麗恵子 いだきを語る」の経験により、魂は深まり自分の存在が日々明確になっていきました。さくじつは阪神淡路大震災30年ということでテレビではいろいろな番組が組まれていましたが、防災グッズなど準備することも大切ですが、あの震災後に全国をチャリティーコンサートととして先生のコンサートを「生命感覚を養う」ためとし開催されたことを振り返ると、やはり生命感覚を養い、ひとりひとり生命ひとつで愛に生きることがどの様な状況であっても乗り越えることと30年を経てよくわかります。あの当時は病院に勤務しながら土日に担当した福島をチケット売りで回ったことは体が覚えています。仕事のことは覚えていなくてもチケット売りは生命で覚えていることを考えると、今のお掃除の「仕事」は人の役に立っているかを考え見直します。まだまだ頭であれこれやる癖があります。余計なことを早く気づいて無くして、いだきしん先生に出会えた生命を生かして生命の欲するままに生きていきたいです。明日のアントレプレヌールサロンと21日の三鷹風のホールのコンサートに向かい3日間家を明けます。母は一人で大丈夫と言っていますが、内心以前とは違っている母のことが心配ではあります。食事の用意や火元のことを考え安全安心に過ごせる様に工夫して考えることも楽しいです。山々の木々はまだまだ芽吹きまでもう少しですが、高麗さんの梅の蕾のお写真、即興詩、「花の便り」に心に春が訪れます。いだきしん先生にお会いできることがありがたくて、とても嬉しいです。春本番です。ありがとうございます。