明るい朝を迎え
ビデオ講演会を拝聴しました。「国創り」がどのような状態か一つわかりました。先日の「ジェンダーをめぐって」講座で自分の過去の一つが解放された経験の後、一時は少し情緒が不安定になりましたが、その後に何か大元の「疎外」が自分からなくなったのか、何でも喰らいついてでも「ともに在ろう」という気持ちが湧き上がりました。19日のコンサートの晩の書込は一度はアップしましたが、この乏しい表現では公開出来ないとすぐに非公開にしてしまいました。ただ、第一部では先生の奥様の存在をそのまま体感し、また先生と奥様の「何か」なのか、とても言葉では言い尽くせない尊き関係も表現下さり、私は、「死」という言葉は不適切に感じられますが、奥様の死を無駄にはしない、必ず報いると心に刻みました。そして報いるとは、女性が其々に持つ、生まれ持った情熱を出し切ることと感じられました。私はご葬儀に参列させて頂きましたが、愚かにも「御光」は見ていないのです。本当に愚かと悔やまれますが、泣くことが共に分かち合うある意味礼と思っていたのと、弟の突然の死からまだ日も浅かったのとで下を向いて泣いていた記憶があります。もう一度巻き戻したいとも強く願うところですが出来るわけはなく、これも自分の事実として受け止めます。一つ「疎外」から解放された後は自分はずっと恐怖心を携えて在ったのではないかと気づきました。小学校3年の担任の先生から酷い仕打ちを受けたことが決定打となったのだと考えておりますが、かなりの恐怖心を植え付けられたのだと記憶します。その中で、初めて会社勤めをした米国系会社で、営業業績が悪いと即座に解雇されることを目の当たりにし、これが仕事をする世界と印象に残りました。しかし、これも恐怖で刷り込まれたのかもしれないと感じます。木曜日の昼に突然解雇され、せめて顧客への挨拶をしたいのでもう一日金曜日まで働かせてほしいというのも一蹴された方がおられました。その方は普通の営業マンでしたので、営業のけじめとはそういうものという観念がそこからありました。最近になって、やっとそれが間違いであったことが理解され、会の中心がそうであるなら、じっと次のことが生み出されるまでそこに在ることがともにあると考えが改まりました。恐怖心と言いながらも自分の観念を押し付けていた状態に気づき、傲慢なことでした。また、今は生きることに欲をだしているのか「悪いこと」も半ば面白がってしてしまっております。何か枠に嵌められない「これをしたらいけない」といった勝手なルールに従順には生きない、自由か勝手かの間を楽しんでいる感覚があります。
ありがとうございます。
田嶋利江子