明るい心
昨日から高校の二学期が始まった。 三年生の教室に入っていくと、何人かの生徒の表情が「大人」めいているので、その成長ぶりがおかしかった。 そのかれらが、口々に、「先生、何かいいことがったのですか」とか、「なぜそんなににこやかなのですか」とか聞いてくるので、びっくりした。 酷暑の中、また授業が始まったかという思いこそあれ、そんな「明るい事情」はなかったので。
それで少し考えてみた。 盆休みに小林康夫の『存在とは何か』を読み、「存在」とは一つの「過程」でしかないのでは思い、分からなくなってしまった。 また、「言語を通して、私が私として実存するのです。」とあったので、書架に読みかけてあった、丸山圭三郎の『言葉とは何か』(ちくま学芸文庫)を読み直し、今度は、ソシュールの言語理論も理解しかねている「頭の悪さ」に戸惑っている。 ただ、「勉強不足」を嘆くというより、果てしなく遠い道の路上にいることが分かり、かえって、若者もめいた冒険心や成長欲が明確になって、気持ちは明るいのだ。 そういう心を少年たちはキャッチしたのかも。
明日からの「存在論」と「応用講座」とで、頭と心と体に栄養補給したいもの。 (8/25)