旧友との別れ
やはり“友好の絆”は残っていなかった。久しぶりに再会すれば、昔のような「隔てない口調」(中島敦『山月記』)の会話が蘇るかと、変に期待したわたしがばかだった。向こうはもう何年も前から、わたしとの「友好」を断ち切っていたのだ。何しろ中学時代からの知人なので、一緒に海外旅行にも行った仲なので、芦屋を離れたことの報告に行き、心の屈折を晴らしたかったのだが、ダメだった。
まだ4時過ぎなのに、野球中継を見ながら晩酌に及び、活舌悪く、息子への不満、死去した父親への恨みを口にする姿は、正視に堪えなかった。こちらの返事には、そこ意地悪く反発し、自分の見解の妥当性ばかりを語る。しかも、まるで会話にならないのである。30分くらいで、「じゃあ、また」と声を掛けて立つと、「そうか。ご苦労様」と訳の分からぬことを言い、箸を置こうともしない。もうかれの世界に、わたしはいなかったのであると確認する。
40年暮らしている家はどこなくくすんでいて、汚れているようにも見えた。金には困らず、「毎日が日曜」の年金生活、医者がよいと晩酌の日々に、魅せられるものは何もない。かれからすれは、わたしは“敗残者”で、負け惜しみを言ってるに過ぎないのかもしれない。そして、かれのことを悪くも言いたくはないが、「老醜」の傍にはいたくないもの。もう二度と会わないだろう。過去からのしがらみを、また一つ断ち切ったように思いながら、夕焼けの道を帰った。(6/18)