日本人として生きるとは
応用コースでのピアノを、途中から会場でお聞きしました。頭の中がボワーっとぼやけている中で、一点を研ぎ澄ますように音が鳴り響きます。考える力、頭がはたらくようにと、はたらきかけてくださっています。国体の質問をしていただいたお陰で、私もぼんやりしていたことが明らかになりました。日本人であることとは、どういうことなのか。神話教育がなくなったこと、自分が何者か分からないこと、自分が一番主体的に生きれるか。先生の問いかけが、次々と体に入ってきます。日本人として生きたいです。
「お金は紙切れにすぎない」今朝、目覚めると同時に言葉が生まれ驚きました。突然のこの言葉を考えていたら、「こんなに大金を失ってしまった」というより、「もしあのお金が今も有ったら」と考えていた自分に気づきました。だったら「無かった」のです。両親からもらった大きなお金を失ったことは、今までにない大きな気づきを得ました。これだけのことがないと気づけないのかと思うと、お金がどれだけ自分を、人間を縛っているものかとその根深さに驚きます。六月の京都で二つの心模様と出会い、決めた時は瞬時でした。お金はどうしよう、有るのかなんて微塵もありませんでした。自分が大きく変わる時に起こる現象だと、過去の経験からよく知っています。その後、その代金のお金がぴったり入ってきました。きれいな流れに感嘆します。大金を失った経験をした今、更なる大きな変化が起こっている時と認識します。日本人であることにつながっています。「お金は紙切れにすぎない」亡き父からのメッセージだったのでしょうか。必ず活かして生きます。