旅の途中
先生、高麗さんいつもありがとうございます。
京都から東京、仙台へと、空間を移動する自分という一つの生き物のエネルギーは、、いのちのちから輝かせ、一歩一歩、足取りは重くしんどいけれど、人間、側から見たら何にもわからないけれど、魂の通信は矢継ぎ早にきて、人間だから、そんなに早くできないんだよー、お金もまだ、なんだよーと、一人言葉でぶつぶつと変になりながらも、新幹線に乗っています。
いつもなら、普通に行くところ、違った経路を選択して、北へと向かっています。
パターンを崩し、枠をまた外すための旅です。
予定の予約した乗り物に乗るというところをはずし、生命のままに動くとき、どうするか、という感覚を研ぎ澄ましています。
肩から、腹腔にかけて身体を右と左に分断するエネルギーは、世界の悲観的なエネルギーと同化同調しつつも、愛へと変容するエネルギーとして力が常に優って、より豊かに生きるための光になり、コンサートへと向かいます。
自分の中にこの正邪両方が在るということは、いつか人は肉体は誰でもなくなるというひとつの印でもありますが、ピアノの音で光として溶けるようになくなることを人に伝えていければと思います。
よく、亡くなった父親の口癖、怒りに狂ったとき言っていた、死に近づいた時は特に言っていた「そんなの常識だ、当たり前だ!」も先日の講座で、自明のお話の時に引っかかっていた身体の中から消えていきました。
一つ一つ、現れてくる内面に刺さる楔は、表現していくと光に溶けていきます。
ありがとうございます。
感謝