新生
ゆっくり寝て、掃除・洗濯し、朝食後、昨日Uさんがくれた「幻のコグリョカフェ」を飲む(もちろんCDを流しながら)と、強い朝日が射し込んできて、心がゆったりとして、「なに大丈夫だ、順調な航海が続くだろう!」という船長の気分になる。
先日、はじめて「アントレ」をオンデマンドで視聴して、いままでの「闇の世界」で苦悩していてはだめだ、「内なる光」ひとつを確認しながら、「存在を問い続ける」しかない!と強く思った。わたしは、「言葉人間」。それだけにいつもその言葉や、それが編み出す意識にやられてしまう。「内なる言葉」が多すぎて、その奥の「魂」や「光」のままに生きてこれなかった。すぐに、「どうしたらいいか」と尋ねたくなり、「僥倖」を求めたくて、ウズウズしてしまう。「おみくじ」に一喜一憂し、他者を信用できなくなってしまう。やらずもがなのノートを作り、勝手な解釈をして、分かった気分でいる。
でも、病院に居ながらも、「ここから出る!」と決められた先生に、強く感化された。車いすから立ち上がって歩いてこられた先生の姿に、それこそ「復活」を見た。医師をリスペクトしながらも、ご自分の「アプローチ」で静養し、退院なさった先生の「強さ」が伝わってきた。「わざわざいだき受講をしているのに、全く違う発想をして、苦しんでいる!」と、開口一番の言葉から、ショックだった。でも、真に信じられる人と出会っているわが人生が誇らしくもあった。(もちろん宗教的な意味合いではない。)
昨日、奈良で二つの「言葉サロン」を開催し、夜は、自宅で、高校退学を口にする少年の授業をした。講座の方は、なかなか人が集まらず、困惑するも、受講者は「楽しかった!」と言ってくれるのでホッとした。問題は、素直でおとなしいが、「気力」が沸いてこない少年の方だ。また一昨日は、派遣で出講している高校の中国人留学生の追試講座をしてきた。「日本語」でなく、「国語表現」を習得させるのだから大変だ。すぐ中国語で何か言い、寝てしまおうとする。それを起こし、「月とスッポン」などの慣用句を教えるのだ。悪戦苦闘。しかし、最後に、生徒の顔に生気と笑顔を浮かんだので、「やった!」と思った。
人の表情に光がともると、こちらの心の光も「共鳴」する。なに、もう少しやってみよう! じっとして悩んでいるよりは、行動してみようという気になる。話は違うが、このところよく歩く。一万歩以上は歩いている。すると、不思議に「言葉」の向こうに出られるのだ。(1/26)